ムッシュの歴史散歩 第六十三回 常是 2023年6月26日
(上の写真は左が天保一分銀、右が改三分定銀。これらの刻印は常是が打ち、その台となる銀は銀座役人が買い付ける)
さて、前回出てきた「常是」。これは銀座において「常是」や「寶」、「大黒」等の極印を打つ役人のことで、湯浅作兵衛家の世襲制です。
元々、泉州堺の銀細工師だった湯浅作兵衛に豊臣秀吉から「常是」の諱(いみな)が与えられ、徳川家康から御銀吹役御銀改役を命ぜられ、大黒常是を名乗らせ、長男は京都の銀座、次男は江戸の銀座を任されたとのこと。その後、江戸九代目が罷免され、銀座が江戸蛎殻町に集約されると、京都十代目が蛎殻町に呼ばれ十三代目までお役目を果たしたそうです。
日本の貨幣は、皇朝十二銭の後は中国からの渡来銭と各地でそれぞれに算出された銀を重さで取引していましたが、品質にばらつきがあるため、豊臣秀吉が統一しようとして大阪に常是座を設けて、銀吹屋を集めたのが、銀座の始まりといわれます。実際に通貨を統一したのは徳川幕府ですが、その下地は豊臣秀吉によって作られました。
銀座は鋳造や極印打、包封をする常是役所と銀地金の買入等を行う座人が集まる銀座役所からなっていました。
役所と言いながら、銀座は半民半官のような不思議な機関で、銀改役は先ほどの湯浅作兵衛の子孫が幕府から命じられて世襲制でしたし、幕府から拝領した土地に屋敷を構え、そこで業務にあたるのですが、銀の買入等を行うので両替町という町名がつけられます。人事等についても幕府から指示が入ります。
それでいて銀座は私領銀山産出の灰吹銀を買い入れ丁銀を製造し、その一部を幕府に上納する自営業と天領銀山産出の公儀灰吹銀から丁銀を製造し、一部を受け取る御用達の営業によって収入を得ていたのだそうです。
明治の御代になって新政府が金座銀座を接収し、例の明治二分判金とか作っていましたが、やがて西洋式の近代貨幣に生まれ変わると同時に、金座銀座も廃止されました。
ムッシュの歴史散歩 第六十二回 改めまして 2023年6月19日
(上の写真は左が今回出品の改三分定銀、右が安政二朱銀)
お久しぶりです。レトロコインオークションが今回からライブビッドも導入するというので、その準備等でこっちに顔を出す暇がございませんでした。一応、手伝っているもので…
改めまして、今回のオークションに出ていましたが「改三分定銀」は、日本の古銭では変わり種ですね。何しろメキシコの8レアル銀貨に漢字の刻印が打たれているんですから。
江戸時代も末期になると、世界は国際貿易と海外進出が盛んに行われていましたから、日本にも当然、オランダ、ポルトガル以外の船も来るようになります。外国人が次々とやってくると、もはや鎖国なんぞは有名無実化してしまい、日本国内を外国人が闊歩しております。そこで問題になるのは、やはりお金ですね。
現代でもそうですが、よその国に行ったらその国で使えるお金に両替しなければなりません。当時の世界では、中南米の8レアル銀貨が世界通貨となっていました。日本はというと、分銀分金穴銭の時代ですが、当時は世界中、金銀地金が基本ですから、8レアル銀貨(=1ドル銀貨)が日本の銀貨と両替比がどうなるかが問題となります。重量から言って、一分銀が8レアルの1/3に相当するので、8レアル銀貨=1ドル銀貨=三分を海外勢は主張します。海外勢はこの一分銀を小判に替えて、金を大量に持ち出そうとしているのです。これを阻止するため、幕府は洋銀の1/2に当たる安政二朱銀を発行し、二朱銀2枚即ち一分銀=8レアル銀貨という相場に誘導しようとしました。
ところがこの安政二朱銀は貿易港でしか流通せず、日本国内の他の場所で使うには一分銀に両替しなければ使えない、ということで海外勢から猛抗議を受け、僅か22日間で安政二朱銀は姿を消し、8レアル銀貨=銀三分に落ち着きました。
しかし外国勢の両替が殺到して一分銀が払底してしまい、悪あがきをする幕府は、江戸城本丸の火災等を口実に、不足する一分銀が量産できないというと、米国総領事ハリスが洋銀貨に刻印を打って流通させろ、と言い出したのです。渋々これを認めた幕府は銀座の役人と常是の役人を派遣して「改三分定」を打たせました。ところが市中の両替商では、外国銀貨は地金扱いのため「三分」と打ってあっても二分二朱にしか両替してくれません。三分を強要するなら受け取りを拒否される、というようなことで、この「改三分定」加刻印も半年足らずで終了します。幕府はもはや、力がなくなっていたんですね。
レトロかきこ 明日はいよいよ、オークション 2023年6月9日
レトロに過敏すぎるスタッフのれと子です。
オンラインの事前入札は、明日10日(土)の正午までとなります。
まだお悩み中の方、皆さまどしどしご入札ください♪現在も競りは静かに力強く進行中です!
新規オークション会員登録は、既に締め切らせて頂いておりますが、会場での参加には、まだ間に合います!
フロアオークションでは、不思議に皆様、手が上がらない!?というロットが出てきたりするのが、面白いところです。会場で、掘り出し物を見つけにいらっしゃいませんか?
オークショニアの華麗なる競り捌きとともに、ぜひお楽しみください(*^o^*)
東京駅からみなとみらい駅まで、わずか41分。会場まで約1時間!
天気は曇りの予報です。皆様のお越しを心よりお待ちしております!!
最新のお知らせはこちらです。
レトロかきこ オークション会場 2023年6月7日
レトロに過敏すぎるスタッフのれと子です。
オークションまであと3日と迫って参りました!
本日は、会場のパシフィコ横浜・ハーバーラウンジBまでのご案内をさせて頂きます!
最寄り駅は、
・みなとみらい駅(横浜高速鉄道みなとみらい線)徒歩8分
・桜木町駅(JR根岸線/横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩21分
どちらともクイーンスクエアの構内を通ります。
2階通路を海側に抜けますと、パシフィコ横浜に繋がる外通路にでます。
写真の地図をご覧ください。
展示ホール方向に、通路を左へお進み下さい。
展示ホール前で右折し、まっすぐ突き当たりまでお進みください。
角のイタリアンレストランを左折して、レストラン“ダンゼロ”を通りすぎて、まっすぐお進みください。白い石畳みに変わりましたら、ハーバーラウンジの入口があります。
会場は、入口入って右手奥の “ハーバーラウンジB” になります。
みなとみらい駅からの詳しいご案内をPDFにてご用意しておりますので、ご確認ください。
途中会場までの通路に、写真の案内板が3箇所ございますので、探してみてくださいね!
手前の展示ホールには、ピザーラ・エクスプレス、ドトールコーヒー、デイリーヤマザキ、セブンイレブンがございます。昼食等、ご利用下さい
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レトロかきこ お礼「新玉ねぎ」 2023年6月6日
お客様から"手作り"の新玉ねぎを頂きました。いつもお気遣い頂きありがとうございます。
箱をあけたら、大きく白く、玉のようにツヤツヤ光っていました。なんて綺麗なんでしょう!
テレビだったか、玉ねぎを育てるのは、難しいと聞いたことがありました。
育てる期間が長いため、玉割れを起こしたり、枯れたり、大きく育たなかったりするそうです。
お客様の努力の結晶、貴重な物を私達に分けて頂き、本当にありがとうございます。
さっそく夕食準備にとりかかりました♫(^-^)
新玉ねぎは生で食べるのが一番だそうですが、今日は、風が強くて冷えてしまったので温かいお料理で頂きます。
厚めに切った玉ねぎを肉巻きにして蒸して、ぽん酢でさっぱり♪
新玉らしい上品な甘味がジュワッと広がり、シャキッとした食感、とーっても美味しかったです!体もポカポカ(^-^)
新玉パワーで、オークション準備頑張ります!ご馳走様でしたー☆
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ムッシュの歴史散歩 第六十一回 建国伝説 2023年1月30日
(上の写真は左がドミティアヌス帝のアウレウス金貨(77-78年頃)、右がデナリウス銀貨(共和政137BC)、共に狼の乳を飲むロムルス・レムス)
人間が最初に作った“国”と呼べるものがなんだったか、どこだったかは謎だ。概ね四大文明と呼ばれるエジプト、メソポタミア、インド、中国だろうと言われています。これらはみな、大きな川が流れています。ナイル、チグリス・ユーフラテス、インダス、黄河。どんな生き物も、酸素と水がなければ生きてゆけません。
時代が降ると、四大文明以外の場所にも人類は進出していきます。例えば古代ギリシアはそれほど大きな川はありませんが、大いに発展します。その跡を継ぐのが古代ローマですが、ローマにはテベレ川がありますが、四大文明からすると小さな川です。
さて、古代ローマの建国物語というと、なんといっても、狼に育てられたロムルス・レムスの双子の話です。しかし、連れ去られた先で一度、狼に乳を与えられただけだそうです。その後、双子は袖を分かち、レムスはロムルスの怒りを買って殺されたという。そして、ロムルスがパラティーの丘に作った都市がローマの起源だそうです。
ローマに限らず、古い国の建国の話はほとんどが神話で、事実がどこまでかはわかりません。
日本も国を作ったのは神武天皇となっていますが、神武天皇は天照大神の子孫であり、15歳で立太子、45歳で東征を始め、在位期間だけでも76年あるという、正に神話です。
古代ローマも神話に基づいています。ギリシアの神話(史実?)のトロイア戦争から命からがら逃れたアエネイアースがあちこちを放浪しながらローマにたどり着き、滅ぼされたトロイアを再建しようという神話からできています。そのアエネイアースは愛と美の女神ウェヌスの子孫とされています。
こうした神話は、国や国王、民族に正当性を与えるために作られた筋書きでしょう。ローマはギリシアの血を引く正当な後継者である。そう、それはとりも直さず、ヨーロッパの源泉はギリシアだということを、示しています。
ムッシュの歴史散歩 第六十回 ハワイ王国 2023年1月23日
(上の写真は、ハワイ国王カメハメハ大王の描かれた50Cents 1883年とアメリカ合衆国ハワイ州のコイン50Cents 1928年)
10年に一度の大寒波が日本上空に降りてきています。雪国は暴風雪に見舞われるとの報道があります。
暴風雪といえば冬将軍。かのナポレオンもヒトラーもモスクワを目指したら冬将軍にやられてしまいました。ロシアは冬将軍に守られています。逆にいえば、冬将軍が来なければロシアは負けていたかもしれませんねえ。
そんな寒いところとは正反対の暖かいところに、ハワイ諸島があります。ハワイはそれぞれの島が部族長によって統治されていましたが、18世紀末、カメハメハ大王が西洋式銃火器を揃え、他の島々を平定し、19世紀初頭に統一王国を成立させました。
ハワイ王国は初めから西洋の助けを得ていたため、王権が弱まると、途端に白人達が利権争いを始めました。中でもアメリカ合衆国はかなり強引なやり方で、ハワイの中枢に入り込み、ついには最後の女王リリウオカラニを幽閉してしまいます。
アメリカ合衆国政府は、一旦は女王との融和を図りますが、結局、女王が自分達の要求に応えないということからハワイ共和国の成立を宣言します。翌年には王党派の武力蜂起が起きましたが鎮圧され、女王の私邸から大量の武器が見つかったということで、廃位されます。それと同時にハワイ共和国とアメリカ合衆国の間で、ハワイの編入が取り決められ、準州となり、完全にアメリカ合衆国の領土となりました。
ハワイの住民にとって、どうなることが幸せだったかが一番の問題ですが、事実だけを見れば完全にアメリカ合衆国の侵略でしかないように思えます。その証拠に、1993年にはアメリカ合衆国議会が、ハワイ併合のやり方が違法だったとして、謝罪決議をしています。まあ、謝ったからって、どうなるものでもありませんが。それに、同じようなことは、人類史上、地球の至る所で繰り返されていることですが…
ムッシュの歴史散歩 第五十九回 お酒 2023年1月16日
(上の写真は左は古代トラキアの銀貨で面が酒神サテュロス、背が酒壺、右の写真は年代不明絵銭で宴会の神様恵比須大黒)
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
お正月といえばお酒がつきものですが、皆さんは美味しいお酒を召し上がりましたか?
本日(1月16日)は禁酒の日。1919年のこの日、アメリカで禁酒法が成立した日だそうです。
禁酒法というとすぐに思い浮かぶのは映画の中に描かれた、非合法の酒場で密造酒を飲んで捕まったり、マフィアが密造酒や密輸入のお酒を高く売りつけて、大儲けし、警察と撃ち合いになるとか…
実際にはそれほど厳しくはなかったようで、要は飲み過ぎをやめましょう、的な法律だったようです。
世界大恐慌が訪れ、戦争の色が濃くなると、鬱屈した市民からの評判が悪化し、最終的には禁酒法は廃止されました。
人間とお酒の付き合いがいつ始まったのか、定かではありませんが、絵や文字の文化の前からのようで、古代エジプトではビールが作られていましたし、古代ギリシアでは宴会の神様もいました。古代ギリシアの世界でも既に、飲み過ぎの上のどんちゃん騒ぎは、バッカスにそそのかされ、堕落した人々の乱痴気騒ぎと避難されたものでした。
日本では、酒は百薬の長、等と言われ、適度に飲むのは体に良い、と言われますが、万葉集の時代、この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ、なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染みなむ、と大伴旅人が詠んだように、昔から酒に溺れる人は身分の上下を問わず、存在しています。
まあ、なんでも程々が良いようで…
軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その86 2023年1月10日
明日(クリスマスイブ)の天気予報は晴れ時々雪、「積もっても少しにしてよ〜」と願いながら眠りに着きましたが、目を醒ましましたら窓を雪が覆っています。そんなように見えました。
それはそれは凄い暴風雪でした。1階玄関の扉が開けづらく、「オヤ」と思い力を入れるとポーチは真っ白、何と数センチ積もっています。ポーチは屋根があるのに雪が積もるとは、いやはや驚きました。気温はマイナス8度、「寒〜い!」慌てて扉を閉めました。
衣服の降雪対策を整え玄関を開け箒でポーチの床を履きましたが直ぐ積もってしまいます。
雪が止むまで待つことにしましたが、これがなかなか止みません。猛烈な風と多量の雪が、みるみる景色を変えて行きます。マイナス8度を超える中ですので雪は減る事なく増え続けます。
このような万一の時の為に屋根のあるテラスに大きなブルーシートに薪を包(クル)んで置いた事が救いとなりました。家内の案が見事に生きた瞬間でした。
焚き物小屋に置いてある薪の多くは雪が積もってしまいましたので乾くまで時間が掛かってしまいます。ブルーシートに包んだ薪に救われたクリスマスイヴでした。
雪が止んだ昼前から雪掻きに取りかかりました。薪を包んだブルーシートにも雪が積もっています。小型ブロワーで丁寧に吹き飛ばし、そのほか至る所の積雪を吹き飛ばしながら、ゆっくり歩きます。
但し鉢物に積もった雪は飛ばしません。積もった雪が毛布の代わりになり零下の寒さから株を守ります。そして大切な水分の補給にもなります。
通路の雪掻きは、ここまで積もると結構大変です。15cm〜20cmはございました。
雪掻き用のシャベルと箒(プラスティック製と竹製)を整えて、テラスから庭に降りるスロープから始めます。玄関前から門扉を通り接道までのメイン導線と駐車場、駐車場は1台分のみ除雪します(駐車場は数台停められますが冬季は1台分で充分です)。
1時間ほど除雪作業をすると腰が悲鳴を上げ昼食を理由に中断、食後1時半頃から再び除雪に取り掛かります。裏庭の除雪はエアコンの室外機の除雪が急務です。強い風の中、作業が終わったのは4時前でした。疲労困憊でソファーに倒れ込むような有様で正に記憶に残るクリスマスイヴになりました。
さて、鹿児島での商談を終え、手応えを十二分に感じながら、次の商談を成功に導くべく熊本に向かいました。
熊本はご案内の通り、加藤清正が築いた熊本城の城下町として発展した歴史がございます。
当時、売り上げ1番店であった「大洋デパート」が、1973(昭和48年)11月29日に火災を起こし、死者が100名を越す大惨事になりました。営業中のデパート火災としては史上最悪の惨事です。
以降、大洋デパートと人気を二分していた鶴屋百貨店さんが県下のデパート顧客の購買意欲を一手に支える形になり、名実ともに県下一のデパートへの道を歩み現在に至っております。
九州新幹線が開通の折も博多に顧客の多くを奪われるではとの心配をよそに頑張っていられるのは、肥後もっこす(熊本県人の気質を表した言葉、土佐いごっそう、津軽じょっぱりと共に、日本三大頑固の一つに数えられています)の根性と存じます。
仕事に対する情熱や博多に対する意識の高さが成績を押し上げた要因の一つと信じている手前でございます。
次号に続く
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