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やまぐち美術
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    2023年11月13日更新

ムッシュの歴史散歩 第七十四回 古代世界3 2023年11月13日

 (上の写真は、左が西ローマ帝国の初代正帝マクシミアヌスのAntoninianus銀貨 、右が東ローマ帝国ユスティニアヌス1世のSolidus金貨)

 古代という世界は、現代とは遠い世界だと思われがちですが、意外に身近に存在していたりします。

 建築や美術における装飾等は古代の紋様にその範をとっているものが多いし、最前から話しているコインもそうだし、文学にしろ、音楽にしろ、案外、人間というものは昔から変わっていないらしい。

 しかも、古代から遠く離れたと思った時、なぜか古代に帰ろうとしたりする。歴史上名高いのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの活躍した、中世ルネサンスだ。新古典主義と訳されるように、正に古代の文化を新しい形で復活させようとした芸術活動だ。所謂、キリスト教が世界を支配する「暗黒時代」に対して、人間の自由な意志、尊厳を復活させようという運動であり、その源泉には、ヨーロッパはローマ帝国の後継者だという意識からきている、とも言われる。事実、神聖ローマ帝国を中心とするヨーロッパの人々は、長い間、ローマ帝国市民という意識のもと、政府官僚ともローマ帝国政府の官僚と認識していた。

 ローマ帝国が東と西に分裂し、皇帝が東と西に併立したときも、人々は分裂とは考えず、巨大化した帝国の西を統治する西の皇帝、東を統治する東の皇帝が分担統治する、と考え、国自体は東西合わせて「ローマ帝国」としていた。西ローマ帝国が滅亡したときも、形式上、西ローマ皇帝が廃位され、皇帝の権威を東に返上したことになっている。その時、東の皇帝は、西に統治者を置く必要は無くなった、としたのみで、西ローマ帝国が滅亡したとはしていない。西ローマ帝国の正帝が廃位された後、そこに成立したゲルマン人の国々も東ローマ帝国の皇帝の宗主権を仰ぎ、西ローマ帝国の地方長官の如く振る舞い、そこに住む市民も自分達を「ローマ人」と呼んでいた。

 これは日本の歴史とも重なり合う。武士の世の中になっても、征夷大将軍になるのはあくまで天皇から任命されるものであり、征夷大将軍は天皇から政を代行するよう命じられているのである。実際の力は無くなっても権威だけ保たれているのである。こうすることによって、無用な混乱を避け、市民からの反発を回避するという、うまいやり方の一つと言えるだろう。

 いわば古代を引きずった政治文化は神聖ローマ帝国とともに、東ローマ帝国とともに消えていったが、政治以外のところでは今でも生きているといえる。

 おやぁ?当初はルネサンスの話だったのに、遠く離れてしまった。

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その94 2023年9月26日

この秋は、自然が例年と異なっているように感じます。拙宅の庭では、開花時期が7月と記憶していた「ダリア」が9月半ばに開花しました。
芝桜や山吹も現在、少しずつですが咲いています。既に春には素敵な花を咲かせてくれたにも拘わらずです。やはり開花時期が若干、異なっているように感じています。学問的裏付けは何もございませんが、目や耳で感じています。
今朝(9月21日木曜日)は、18度台で朝を迎え最高気温は25度が予報されています。日曜日には12度、月曜日は11度まで下がる予報が出ています。結果は、月曜日は8.6度まで下がりました。散歩には薄手のセーターを着て、丁度良い気温でした。
拙宅の近くを散策する方が多く見受けられるようになっています。何方を目指しているのかお尋ねすると「野鳥の森」とお答え下さった方が多く、「野鳥の森散策の後、村民食堂かハルニレテラスで食事して時間があれば旧道に向かいます」との事、既に山々の変化が始まっている現在、「野鳥の森」で自然を味わい、軽井沢の美味しい食事を楽しみ、時間が余れば旧道に足を運び、あのテニスコートを始め、多くの文化遺産を見てみるのも、心が安らぐ素敵な時間になるものと存じます。先日、上皇様ご夫妻がお越しになり、テニスコートで昔を懐かしんでおられました。
さて、ハルニレテラスのナガイファームでジェラートを頂いた折、入口横のラックで販売されていた西洋梨マルゲリット・マリーラを購入しました。大きく熟した西洋梨で、誠に美味でした。お店の近くの農場で出来る果物や野菜は誠に美味しく、ジェラートのついでで野菜や果物達に叱られるかも知れませんが、欲しいものが目に入れば頂戴する事にしています。 

前号では、東京に於ける百貨店さんの現状を私見ながら述べさせて頂きました。時代の魁のように突っ走って来て、ふと立ち止まり振り返ってみたら、トップの座は他の業界に奪われ存続の危機すら迫っているような立ち位置にあると思います。百貨店の今後の対応を注目しております。
他方、トップの座を奪った業界も他の業界に追われています。生活のスタイルが変わると、全く知らなかった業界が支持を集め、それまで生活のリーダーと思っていた業界を凌駕してしまいます。分かり易く申し上げますと、百貨店業界を凌駕したセブン&アイやイオングループが店舗を持たない通販業界(Amazonその他)の追撃に怯えているのではと感じる手前でございます。果たして、消費者の支持は何れに・・・

ここで横浜の百貨店の盛衰について述べてみたいと存じます。私は現在70代半ばを超えました。生まれは横浜、住まいは横浜から私鉄で15分位の所でした。小学生の頃、母の買い物について行くのが楽しみでした。横浜駅で東横線か国鉄(現在のJR線)に乗り換え、桜木町で下車、野毛を通って伊勢佐木町に向かいます。別の行き方は、横浜から京浜急行で日之出町下車、徒歩15分で伊勢佐木町商店街に到着です。何故か分かりませんが、母は国鉄に乗り換えるのを常としていました。当時、横浜駅西口は整備中で、今では想像もつかない荒れ野原でした。東口に少々商業集積がございましたが、伊勢佐木町と比肩出来るような内容ではございませんでした。東口には、今や横浜を代表する企業の一つになった崎陽軒さんが既に営業されておりました。
当時、伊勢佐木町には「野澤屋」さんと「松屋」さんの2百貨店が、繁盛を極めていました。平日も土曜、日曜も連日お客様で大混雑でした。
その後、時代の波は野澤屋さん、松屋さんに味方せず、名古屋の栄に本店を持ち、東京・銀座にも支店を持つ大型百貨店松坂屋さんに吸収され、横浜松坂屋として営業を続けましたが、2008年(平成20年)10月26日、閉店致しました。音楽グループ「ゆず」が、日曜日の22:00から横浜松坂屋さん前の路上で行ったライブで、全国に名を馳せたのが記憶に残っております。
1989(平成元年)には、みなとみらい地区の開発が進み、日本中にアピールすべく「横浜博覧会」が開催されました。同年に、横浜美術館が開館、1991年にはインターコンチネンタルホテルやレトロコインのオークションでお馴染みのパシフィコ横浜会議場が開業、この新しい流れも伊勢佐木町商店街を苦境に追いやった一因と存じます。他方、商店街を構成する個別の店舗は現在も奮闘中と承知しております。

伊勢佐木町商店街で或る次期、隆盛を極めた百貨店を廃業に追い込んだ他の要因に「地の利」の変化が有るのではと存じます。
横浜駅西口に、1959年10月1日、巨大百貨店横浜高島屋さんが開店し、周辺環境(地下街等々)の整備が進み交通の利便性にも富んだ横浜駅(国鉄、東横線、京浜急行、相鉄線、連絡駅)西口が、急速に力を付けて行きました。横浜高島屋さんは現地法人から高島屋横浜店に業態変更し、現在に至っております。単独店舗として日本中の百貨店の中で10位以内の成績を上げている巨大百貨店です。【現地法人の折は横浜市に税金を納めますが、業態変更以降は本社のある大阪市に納めるようになります。行政の現地法人に対する好意は、この辺りに有るのではと感じています】
東口の再開発で出店した横浜そごう百貨店さんは現在も営業中ですが、セブン&アイ・ホールディングスの傘下ですので、西武百貨店池袋本店と同様、今後の行方が心配されます。

2006年には横浜そごうさんの横に、長距離エスカレーターで結んだ横浜ベイクオーター【専門店(ファッション、インテリア、キッズ、ペットその他)&レストラン、カフェ 30店舗以上】が開業、多くのお客様が港を見ながらの買い物や散策を楽しんでおいででございます。
途中に港内遊覧船【シーバス・山下公園行き(所要時間15分)片道1,000円】の発着所があり、横浜ならではの短かくも楽しい船旅を目的に多くのお客様で賑わっています。東口を離れると、進行方向左側に「瑞穂埠頭」を含む米軍施設が目に入ってまいります。星条旗を掲げた米軍の船舶が停泊していますのでお分かり頂けるものと存じます。この地区は未だに米軍に接収されており敗戦を肌で感じる地域でございます。
この瑞穂埠頭の米軍施設ノースドック入り口前に「スターダスト」というバーがございます。ベトナム戦争に向かう兵士達が恋人との別れを前に最後の楽しい時間を過ごしたバーでございます。映画やTVの撮影にも使われましたからご存じの方もおいでと存じます。確認をとっておりませんが現在も営業されているようです。勿論、注文時に1杯ずつ払うキャッシュオン方式です。

次号では、横浜の歴史を少々・・・

写真右(マツザカヤ)は、Wikipediaより引用

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ムッシュの歴史散歩 第七十三回 古代世界2 2023年9月25日

 (上の写真は、左が神々の神ゼウスの顔が描かれたメタポンティオンのNomos銀貨、右が世界最初のオリンピック記念コインと言われる、レスリングが描かれたアスペンドスのStater銀貨)

 古代世界でまず、広い地域に進出し、交易を盛んに行ったのはギリシア人だ。ギリシア人は巨大国家を造らず、小さくまとまった都市国家によって発展した。現代でも折に触れて問題になるけれど、巨大国家で大きな政府が良いのか、小さくてもまとまった国の小さな政府が良いのか。

 巨大国家は武力も経済力も圧倒的ではあるけれど、内部に分裂の危機を孕んでいる。歴史を見ればわかるように、領土をどんどん広げた巨大帝国は、ある時点で内部崩壊し、歴史の波間に消えていく。

 一方で小さな国家は、強固にまとまっているけれど、それなりの影響力しか持たないので、結局は巨大な勢力に飲み込まれてしまう。それでも生き残った小さな国家は、その周辺の巨大国家の対立の中で、緩衝材として「存在させられた」側面が大きい。世界のバランスが崩れれば、あっという間に消えてしまう。

 それでも古代ギリシア人達は都市国家という形態を維持し続けた。勢力争いはどこにもあるので、ギリシア人の都市国家同士も相争っていたが、相手を圧倒するため、利益を共有するため…と様々な理由で、都市国家同士が同盟を結んだり、裏切ったりを繰り返していた。しかしギリシア人は不思議なことに、「ギリシア人」というアイデンティティだけは常に持っていて、巨大な外敵、例えばペルシア帝国とか、ヒッタイトとかが攻めてくると、あっという間に一つにまとまって戦い、勝利と独立を手にしていた。また、有名な話だけれど、4年に一度のオリンピックは、先頭をしている都市国家同士でも、その期間だけは戦闘を停止して、オリンピックに参加していたという。これも「ギリシア人」というアイデンティティとオリンポスの神々への崇敬によるものと思われる。

 そうした崇高な精神を以て、クーベルタン男爵が復活させた現代オリンピックは、いわば「地球人」というアイデンティティの下、戦いをやめて参加すべし、という精神はどこかへ捨てられたらしい。 因みに、古代ギリシアのオリンピックはスポーツだけではなく、演劇や音楽等も競われていた。そうした中の優秀なものが、ギリシア悲劇として現代にも残っている。

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レトロかきこ 古民家で愉しむレトロコイン展 2023年9月21日

レトロに過敏すぎるスタッフのれと子です♪
今週、土曜のイベントのお知らせです。

   古民家で愉しむ「レトロコイン展」2023秋
        会場 上野桜木あたり ざしき
        時間 9月23日土曜日(秋分の日) 11:00~16:00

        古美術品の展示販売あります
        オークション即席下見会、オークション出品物お預かり

やまぐち美術さんとのコラボレーションで始まった当催事は、このたび20回目を迎えることとなりました。
一重に皆様方のご支援の賜物と感謝申し上げます。

当会場では、ウェブサイトでご案内している商品、および、当日までの新入荷品の展示即売、そして"リアル気まぐれ市"も開催!また、終日「なんでも相談会(ご予約制)」を行います。お手持ちのコインをご持参頂き、担当者が詳しくご案内させて頂きます。PCGS、NGCなどスラブコイン全般についてのあらゆるご相談、繊細なコインの管理方法など、専門用語から申込方法、売買相場まで喜んで承ります。

・グレーディングサービスのご相談・ご依頼

事前に、電話かメールにて、コインの内容や枚数、ご相談内容をお知らせ下さい。
恐れ入りますが、多数の場合や特殊なお品を含む場合、会場での対応が難しいことがあり、お預かりしてのご案内とさせて頂くこともございます。ご予約のない方は、お待ち頂く場合がございます。
なお、商品をご覧になるなど、ご相談以外のお客様は、特にご予約の必要はございません。どうぞお気軽にご来場下さいませ。

また、今回も引き続き、やまぐち美術による厳選品も展示即売させて頂きます。もちろんご入場無料です。

会場は、JR「日暮里駅」、東京メトロ「根津駅」「千駄木駅」より徒歩10分程度。どうぞこの機会に、どこか懐かしい谷根千の町並みを愉しむ、秋のお散歩にお出かけ下さい。詳しくは、下記のウェブサイトをご覧下さい(アクセスマップもあります)。

八畳のお座敷からは、古民家、季節を感じさせる小さな鉢植え、木々、井戸、通りすがりの猫など、日本の懐かしい風景が見られます。ときどき吹いてくる風に乗って、並びのお店から焼きたてパンやコーヒーの香り、焼き鳥の香ばしい醤油のイイにおいがしてきます。お腹が空いたら、すぐに食べに行けちゃうのも楽しみの一つです(o^^o) 暮らしにより近い場所で、コインや古美術品との出会いをお愉しみ頂けましたら幸いです。

当日は、お彼岸の中日にあたり、近隣駐車場が朝から大変混雑することが予想されております。お気をつけてお越しください。皆様方とお目にかかれますことを楽しみにしております。

なお、この期間、本ウェブサイト掲載品を一挙催事会場にて展示即売いたします。誠に恐れ入りますが、オンラインでご注文可能な品でも、催事会場にて売り切れとなってしまうこともありますので、ご注意下さいませ。

会場のウェブサイトはこちら (https://uenosakuragiatari.jp/)

【感染症防止策について】
清潔安全に、お楽しみ頂けますよう、下記の取り組みを行いますので、ご協力をお願いいたします。 
・発熱等、体調不良時のご来場はご遠慮ください。
・ご来場の際は、入口にある備付けのアルコールで手指の消毒をお願いいたします。
・混雑時には、お待ちいただく場合もございます。

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横浜ランチレポート16 コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ 2023年9月20日

本日ご紹介するお店は「コーヒーの大学院 ルミエール・ド・パリ」です。

猛暑だった夏もやっと落ち着いてきましたね。体の力を抜いてホッと一息つく時のコーヒーは最高ですよ!風味や味わいも重要ですが、飲む時の雰囲気も合わさるともっと贅沢なチルタイムを満喫出来そう(^o^)今回ご紹介するお店はその名も「コーヒーの大学院」。今から約半世紀前の1974年にオープンし、当時のままの外観と内装を保った店内はまるでタイムスリップしたかのような昭和レトロな雰囲気。そんな中、れと美は特製手作りハンバーグを注文!待っている間もシックな雰囲気の店内を凝視(^m^) テーブルに置いてあるレトロなランプやコーヒー豆の在庫数に圧倒されてしまいました。さて、ランチはというと、最近ではあまりない、やや酸味の効いた贅沢ソースと共にふんわりしたハンバーグは大人の味。コーヒーセットにしたれと美は、食後にサイフォンで淹れられているコーヒーをぼんやり眺めたりとゆったり癒されたランチタイムとなりました(>。<) ハンバーグ以外にもスペシャルビーフカレーやミートスパゲッティーなど喫茶店定番のメニューを選ぶことができ、+300円で一般的な量の2倍のコーヒー豆を使用した濃厚で深みのあるコーヒーも頂けちゃいます!各種ケーキも用意されているので、観光中のひと休みしたい時に立ち寄るのもオススメです!
楽しいランチタイムを☆

ランチタイム:11:00〜14:00
予算:800円〜
定休日:日曜日
所在地:横浜市中区相生町1-18(弊社から徒歩10分)
電話:045-641-7750

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その93 2023年9月19日

先週半ばは、最低気温が17度台まで下がりました。秋を肌で感じる気温ですが、昼頃には暑い夏に戻りました。それでも、モミジの葉は先が紅くなり始めた種類も有り、秋接近を感じます。ヒヨドリは洋種山牛蒡(ヨウシュヤマゴボウ)の果実を突ついています。因みに洋種山牛蒡は鳥達には無害ですが、人間には極めて毒性が強く死に至る事も有る有害な実でございます。姿が葡萄のようで美味しそうですので、要注意です。山法師(ヤマボウシ)も大きな実を付けており、鳥達の食欲を賄っています。
軽井沢の素敵な季節が始まりました。トレッキングを始め、自然に接する機会を楽しむ季節でもございます。既に小振りのリュックを背負った方達が散見されるようになり始めました。森の小径を散策しながら秋を楽しむのは誠に結構と存じます。

東京各地の百貨店は、規模の大小に関わらず苦戦を強いられているようです。既に追われる側でなく追う側になっているのです。苦戦の要因は定かではございませんが間違い無く有る筈です。懸命に探ってみたいと存じます。
生活密着産業と申し上げれば良いのでしょうか、セブン&アイ・ホールディングス、イオングループ、その他コンビニエンスストアー(ローソン他)を始め、通販(アマゾン他)、ユニクロに代表される安価大量販売企業、等々、想像を越える新業態が、消費者の購入意欲を唆るような展開を続けており今後の広がりが予想もつきません。
品物を手に取らなければ購入しないのが普通であった時代が長く続いておりましたが、近年、革命的な変化(ラジオ→テレビ→パソコン、
固定電話→ポケットベル→携帯電話→スマホ等々)が短時間の内に起こり、パソコンや携帯の画面に表示される写真を見て購入を決めるのが当然になりつつある年代が拡大しつつございます。斯く言う私の生活の中にもAmazonのロゴが描かれた段ボールが増えているように感じます。
発注、翌日配送されるシステムを作り上げた企業努力には頭が下がりますが、この便利さは中毒になります。品物が手に届くのが早いのです。
翌日にはオーダーした品物を自宅で手に取る事が出来るのです。「あっという間に到着」と感じます。
モータリゼーションの変化に依って郊外型の商業集積に優位が訪れ、都市型百貨店は苦戦を強いられていますが、その優位だった筈の郊外型商業集積は、アマゾンに代表される通販業界に追われているように感じます。
正に群雄割拠です。それぞれ異なった商業集積が鎬を削っています。パソコンや携帯電話の画面を見て購入決定をする人達が、わざわざ電車に乗ったり車を運転して百貨店や郊外型商業集積に足を運ぶでしょうか?時間の無駄と感じるのでは?
百貨店・郊外型商業集積vs通販業界の様相を呈してきているように感じます。加えて安価大量販売業界も参戦中です。

2022年百貨店売上高 5兆1401億円 
1位 伊勢丹新宿本店(3276億円・対前年129.2%)
2位 阪急本店(2610億円・対前年130.1%)
3位 西武池袋本店(1768億円・対前年114.8%)
4位 JR名古屋高島屋(1724億円・対前年121.7%)
5位 高島屋日本橋店(1430億円・対前年115.3%)
6位 三越日本橋本店(1384億円・対前年120.9%)
7位 高島屋大阪店(1319億円・対前年120.7%)
8位 高島屋横浜店(1318億円・対前年111.1%)
9位 松坂屋名古屋店(1177億円・対前年113.2%)
10位 あべのハルカス近鉄本店(1136億円・対前年123.1%)

東京地区4店舗、大阪地区3店舗、名古屋地区2店舗、横浜地区1店舗でした。
高島屋グループ4店舗、三越伊勢丹グループ2店舗、阪急グループ1店舗、西武グループ1店舗、松坂屋大丸グループ1店舗、近鉄百貨店1店舗

売上高で見れば、他の業界から大きく差をつけられてしまった百貨店業界ですが「いざとなれば百貨店」、「大切な方への贈り物には百貨店」というニーズに支えられ回復を目指しているように感じます。百貨店外商部の取り扱い高が占める構成比が高くなっていると伺っています。
顧客との濃密な関係が百貨店を支えており、他の業界とは一味異なっています。他の業界とは一味違った、お客様との距離感を改めて深掘りする事が魔法の剣になるのではと思うのですが・・・

次号に続く

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レトロかきこ れと子の夏旅(5) 2023年9月14日

高い二階建て家屋の板壁が連なる細い路地に、お散歩心を掻き立てられたれと子は、どんどん歩みを進めます。趣きのあるレトロな古民家カフェで“宿根木さんぽ“のシメにと、佐渡産スイカ100%ジュースを味わったのでした。

さて、今日は、佐渡島の絶景スポット“尖閣湾”へ!
宿から車で45分ほどで到着。駐車場からお土産屋さんがある建物に入ると、入場券売り場が。料金表に“海中透視船”の文字を見つけ、面白そう!!(*≧∀≦*) と飛びつくも、今日は波が高くて運休とのこと。
あーあ、残念!(◞‸◟) テンション急降下。。

入場料を払って、トボトボ道を進んで行くと、
ザザー、ザザザザー。波音が。 
(〃ω〃)おおっ、いい音。

音は聞こえど姿は見えず。。こっちかなー?と
生い茂る木の間に入ります。奥を覗き込んでみると、真下に小さな入江が見えました。
白波が打ち寄せています。プライベートビーチ!?
それにしても妙に小さく見えるなぁ。ミニビーチ!

ザザザザー。
音のする方へ視線をあげると、全面絶壁ーーー!!!((((;゚Д゚)))))))
ザブンザブン波砕けてるっ。。

…てことは、こちらも崖の上!?( ;∀;)
どーりで、小さく見えるわけだ。

ここで石碑を発見。
尖閣湾は、姫津から北狄(キタエビス)までの約3kmの海岸に広がる5つの小湾の総称で、世界一の絶景と称されるノルウェーのハルダンケル峡湾の景観に勝るとも劣らない海岸美として「尖閣湾」と命名されたとのこと。昭和46年に海中公園に指定され、平成8年には“日本渚百選にも選定されているそうです。

“渚”って、静かで優しいイメージがあったので、荒々しい絶壁、荒波も許容範囲って意外でした!さらに先を行くと、松竹映画「君の名は」のロケ地の文字が!
映画を見た事はないけれど、ストールの“真知子巻き”は知ってます。(*´-`)
佐渡島が舞台になっていたんですね。最初に放送された1952年のラジオドラマでは、番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える、といわれるほど人気だったそうです!

さて、歩行者通路以外は、ゴツゴツした岩が剥き出しています。
険しい岬では、自然が生み出した危険美に圧倒されっぱなしです。
水平線、崖と高い波しぶき、音が印象的でした。

どこからか、一羽のカモメが飛んできて、慣れた感じで崖に止まりました。
強風を受けて目を細めながら、じっと海を見つめています。
絵になるカモメをカメラにおさめ、お次は山へと向かうれと子なのでした♪

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横浜ランチレポート15 トラットリア ミオポスタ 2023年9月13日

本日ご紹介するお店は「トラットリア ミオポスタ」です。

たまに、いつもと違う道を歩いてみたくなることってありませんか!? それは新しい何かに遭遇出来るチャンス!ということで、初めて歩いた道でたまたま出会ったイタリアンのお店のご紹介です!

山下公園と中華街との間にある細い道を歩いていると、イタリア国旗を発見。そこまで目立つ外観ではなかったので、危うく通り過ぎてしまうところでした(汗)数段階段を登り中へ入ると、物静かなシェフの案内で席につき、れと美は、ナスのアラビアータをオーダー!日替わりで、パスタランチ、ピッツァランチ、パニーノランチ(全5種類)から選ぶことが出来ます。数量限定メニューもあるので早い者勝ち(^m^)前菜のサラダを食べつつ待っていると、良い香りのパスタ登場。素材の味を楽しめるトマトベースのシンプルな仕上がりで、ニンニクをバッチリ効かせた大満足な逸品!〆のコーヒーも戴きホッとするひと時でした。
マスク着用で楽しいランチタイムを☆

ランチタイム:11:30〜14:30(ラストオーダー14:00)
予算:1,000円〜
定休日:木曜日
所在地:横浜市中区山下町74-6 ロクマルビル1F(弊社から徒歩6分)
電話:045-633-2139

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その92 2023年9月12日

空は今にも泣き出しそうです。9月6日(水)は、雨に支配されそうな一日になりそうです。散歩にも出られず気鬱な一日になりそうです。
幸い雨は降らずに保(モ)っているので、予想よりも超大きく広がった白萩の花を整理する事にしました。美しい白色の花をつけておりますが、枝は太く立派でハサミでは切れずノコギリで切り倒します。まるで木の幹のようです。一株の白萩に15本の立派な枝を切り取るのに30分を要しました。この時期の人気者、コスモスも彼方此方で見事に咲いておりますが、前夜の一時間あたり80ミリの猛烈な雨に打たれ、倒れてしまったコスモスの整理に掛かります。心痛む作業になります。この日の晩、NHKの番組「新日本風土記」で、軽井沢の歴史が放送されました。
貴重な資料が含まれており心から頷く場面や知り合いが出演していたりで楽しい時間を過ごさせて頂きました。NHKに感謝申し上げます。
9月7日(木)早朝(06:00)から、秋を迎える準備(庭の草むしりが中心です)に取り掛かりました。いつも同様、家内と二人での共同作業です。
一段落し徒歩10分位の所に在る「ハルニレテラス」に足を運びました。盛夏同様、多くのお客様で賑わっていました。地の利(北陸新幹線で東京から約70分)が齎(モタラ)す効果と存じます。
勿論、長い年月を掛けて多くの方達が築き上げた軽井沢が、現在を生きる多くの皆様に支持されているのは、先人の慧眼に救われた思いを強くしております。誠に感謝に耐えません。引き続き繁盛が続く事を願って止みません。

前号では北海道に続き、東北六県に於ける百貨店の盛衰に付いて記して参りましたが、いよいよ関東地区、今回は、東京に入ります。群雄割拠の東京です。早速、取り掛かります。

現在の都内百貨店地図は下記の通りです。
◎日本橋三越本店 ◎銀座三越 ◎日本橋高島屋 ◎新宿高島屋 ◎玉川高島屋SC ◎立川高島屋SC ◎大丸東京店 ◎松屋銀座 
◎松屋浅草 ◎松坂屋上野店 ◎伊勢丹新宿店 ◎伊勢丹立川店 ◎京王百貨店新宿店 ◎小田急百貨店新宿店 ◎小田急百貨店町田店 
◎東武百貨店池袋本店 ◎西武百貨店池袋本店 ◎和光本館(銀座4丁目・設立1881年・セイコーホールディングス)
その他営業形態の違った商業集積 ○GINZA SIX(元銀座松坂屋・業態変更) ○渋谷ヒカリエShinQs(東急百系) ○丸井(22店舗)
○アトレ(JR系・4店舗)○銀座ロフト(100店舗)○ルミネ(JR系・15店舗)○東急ハンズ(48店舗)○丸井(22店舗)
○パルコ(18店舗)

これだけ多くの百貨店が鎬を削っています。これだけ多くの百貨店が顧客のニーズに沿うべく頑張っています。どれだけ頑張ってもニーズに沿えない事態が起きているのでしょうか?それが苦戦の要因でしょうか? 
先ずもって現在はすっかり変わってしまった有楽町駅前に付いて語ってみたいと存じます。百貨店が苦戦している要因の一つでも掴めればと思います。
昔も今も銀座に足を運ぶ際、大きく分けると現在と同様、新橋駅から歩く道と有楽町駅から歩く道がございます。有楽町駅からは、日本劇場【通称日劇(1933年12月24日〜1981年2月15日閉館)、詳細は譲りますが、映画や芝居を始め数々の思い出を作ったウエスタンカーニバル(1958年〜1977年が開催され一世風靡した。ミッキーカーチス、平尾昌晃、山下敬二郎の3人がロカビリー三人男と言われました。ミッキーカーチス氏は現在も健在で活躍されております)や日劇ダンシングチームは多くのファンに愛されました】の前を通り、銀座に向かいます。後にSONYビルや世界の有名ブランドを冠したビルが林立する夢の小路になりました。
日劇閉館後の跡地は有楽町マリオンとして1984年10月6日開館、2館体制で、西武百貨店さんと阪急百貨店さんが入居し、シネコンと併せた新しい商業集積になりました。スタート時には元気を感じさせた西武百貨店さんでしたが、2010年12月に閉店、その跡地には、2011年10月28日、ルミネ(JR系)がオープンし現在に至っております。阪急百貨店さんは、一足早く同年、10月14日、阪急MEN’S TOKYOとし専門店としてオープンしております。有楽町の駅前であり日本一の銀座通りが徒歩5分の所に在る地区であっても百貨店としての営業が成り立たない現実に暗澹たる思いにかられました。消費者の購入もモチベーションが複雑に変化しており、正に混沌とした状態は正解が見えない業界になっているようです。これまでの通説(一定以上の通行客数があれば百貨店ビジネスは成立する)は通用しませんでした。

伊勢丹さんは三越さんと合併、東急さんは伊勢丹さんと人事交流の関係を持ち、大丸さんと松坂屋さんも合併、前号で著述の通り西武さんとそごうさんは共にセブン&アイ・ホールディングスの傘下入り、と言うように合従連衡が続いております。これは何を意味するのでしょうか?
資本力の戦いが始まり、業種間の軋轢は熾烈を極めております。単独資本で展開中は、高島屋さん、松屋さん、鉄道をバックに小田急百貨店さん、京王百貨店さん、東武百貨店さんです。
セブン&アイ・ホールディングス及びイオンホールディングスさんは、スーパーマーケット、コンビニを始め金融機関を含めてあらゆる分野に進出し、前述の百貨店業界を凌駕しているように見える現在ですが、今後がどうなるのか注目しております。

通販業界やネットショップの躍進も凄まじい伸びを示しており、百貨店とは全く異なった販売方法も支持されている証でもございますので、徐々に見てみたいと思っていますし興味を唆られています。因みにアマゾンの昨年度実績は3兆2千億円とか・・・

次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第七十二回 古代世界 2023年9月11日

 (上の写真は、左が世界最初の金貨リディアのスターテルエレクトラム貨、右がアテネのテトラドラクマ銀貨、フクロウが小首を傾げる珍しいタイプ)

 人類の歴史を振り返ってみると、大方、出身地はアフリカらしい。そんなに遡っても貨幣は出てこない。

 おおよそ、人類最古の貨幣はギリシアで製造されたと言われる。ギリシアと言っても、所謂ギリシア本土ではなく、エーゲ海を挟んだ対岸、現在のトルコ共和国に属する小アジアのリディア王国といわれている。この地で発見され、製造されたと言われる僅か14g程度の自然金の丸い塊。スターテル(Stater)エレクトラム貨(Electorum)だ。単なる自然金の塊であれば貨幣かどうかわからないが、そこにはライオンの上半身の刻印と長方形の打刻が、両面に対となって打たれており、幾つも発見された。しかも同じ地域だけではなく、各地の古代ギリシア都市の遺跡から発見されたことから、この時代の人々は各都市を移動し、交易を行い、この金貨を使用していたことがわかったのだ。

 それ以前は、物々交換で交易をおこなっていたと思われる。古代エジプト王国等は滅亡直前まで、コインを使った形跡はなく、砂金や玉で商売をしていたらしい。

 コインが発明された理由はほぼ明確で、物々交換経済では、交換すべきものを遠くまで運ぶのが煩わしいので、小さく軽い代わりのものを考えた結果であった。しかしそれにはお互いにその価値を認められるものでなければならない。そこで金銀等の希少金属が選ばれた。また、真贋も権威あるものから認められていなければならない。そこで、国家や国王によって、決まった刻印が打たれたもの、となった。

 一方、ギリシア本土では金はあまり産出されず銀が多く出たため、銀貨が多く作られた。かの有名なアテネとフクロウのテトラドラクマ(Tetradrachm)銀貨もその一つだ。品質が保証されているのであれば、こんな便利なものを利用しなければ損、とばかりにみんなが使うようになり、貨幣経済が世界へ広がっていく。そうなると当然の如く、贋金造りも行われる。真贋をはっきりさせるために、刻印の模様を細かくしたり、コインそのものを究極まで薄くしたり、様々な試みがなされるけれど、結局、贋金造りとの戦いは今でも続いている。

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レトロかきこ れと子の夏旅(4) 2023年9月7日

ベテラン船頭さんのたらい舟で、東映映画さながらのリアル波砕けを体験!(≧∀≦)
旅のキーワードの一つ“冒険”を叶えました。れと子の旅は続きます。

たらい舟から地上に上がると、まだ波の余韻で身体がふわふわ。(*´-`)
心地よ~く揺れつつ、まち歩きスタートです♪
たらい舟の“はんぎり乗り場”から、海岸通りを渡った所に駐車場、案内所があり、その奥に「宿根木(しゅくねぎ)」の集落が見えています。廻船業で発展した集落で、小木港の南西に位置し、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。

見るからに密集しているのですが、それもそのはず、約1ヘクタールに110棟の建造物が建ち並ぶという高密度!
当初、平屋建てだった家屋は、人が集まることができる座敷を増やそうと、舟もちなどの実力者が2階建へと改修し、次第に村内に広まったそうです。潮風から建物を守るために“包み板”という縦板張りの外装になっています。板壁の作りからは、素朴で質素な印象を受けますが、公開されている家屋の内部を覗いてみれば、なんと、漆がふんだんに使われ、艶々と輝く豪華な空間!!(*⁰▿⁰*)そのギャップに思わず目を見張りました。

屋根も独特です。木の板に石が乗っている屋根が見られます。これは、薄く割った木の板を何枚も重ね合わせ、石をのせた“石置き木羽葺き(こばぶき)”というスタイルです。海風に飛ばされないよう石を置いていたものの、海風にけっこう飛ばされていたようで、2、3年毎に張り替えが必要だったそう。海に出ている男性に代わり女性が作業していたということで、屋根を見上げてみると…高い!(°▽°)高所作業が得意な女性なんて滅多にいませんし、危なすぎてよくできたものだ…と尊敬します。自分が屋根に登ることを想像したら、足がすくんでしまいました。女性陣の要望から昭和30年代を境に、瓦屋根へと変わっていったそうです。よかったよかった!昔のことなのに我が事のような嬉しさ(*≧∀≦*)

板壁の高い家屋に囲まれ、入り組んだ路地は、まるで迷路のよう。水路があり、野菜の洗い場として使われていた場所や、郵便局、塩の看板が目印の三角家も宿根木のシンボル的家屋として残っています。集落には、現在もお住まいの方がいらっしゃり、戸口の横でそっと咲く花が素敵だったり、脈々と続いている暮らしの息遣いが感じられます。思わず足をとめて見入ってしまうような所がいくつもありました。この先には何があるんだろう?ここは進んでも良いのかな?と、きょろきょろしながら進んでいくと、急に開けた場所に出て、森の香りが。「宿根木公會堂」と大きな文字で書かれた建物が草むらにどっしり立っています。大正時代の建物で、見ている方が見下ろされてるような迫力に歴史の匂いがしてきます。奥には、白山神社が凛と佇んでいました。石作りの鳥居の造形の美しさに、思わず見惚れていると、社殿の裏山から鳥居を駆け抜ける風がひんやりと神聖な空気を運んできました。神様へのご挨拶をすませ、さっきとは別ルートで折り返します。
おや、コーヒーのいい香りがしてきます。香りのする方へと吸い寄せられるように進んでいくと、カフェの立看板がありました♪

コーヒーへのこだわりが感じられるメニューの次には“佐渡産スイカ100%生搾りジュース”という目を引くメニューが!さっそくテイクアウトで注文👍
出来上がりまで、店内で待たせて頂くことに。お洒落な作りの古民家カフェです。出来上がりまでウッキウキ♪
ちょうどカフェのお客さんが帰ったところで、奥まで見通せます。お座敷席もあるんだー。ひろーい!ちかづくと、あれっ?座敷の奥に大きなスイカがふたつ。並んでいるとなんだか可愛い(^-^)
お店の方に伺うと、これが今注文したジュースの佐渡産スイカとのこと。それにしても、佐渡産のスイカがこんなに大きいとは!デンスケを超えたのでは??
「お待たせしましたー!」とスイカジュースが渡されました。さっそく一口。冷たく冷えた濃厚なスイカの甘みが広がります(๑>◡<๑)

喉が乾いていた事もあり、ゴクゴクあっという間に飲んじゃいましたε-(´∀`; )
あー、もう少しゆっくり飲めば良かったなー…なんて思ったくらい、美味!おすすめのジュースです◎

お散歩の締めに最高の癒しタイムを過ごし、宿へと戻るれと子でした。(≧∀≦)

次回も旅は続きます!

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1円アルミ貨 昭和30年 PCGS-MS64 今週の映えコイン 9月6日

今週の映えコインは「1円アルミ貨 昭和30年 PCGS-MS64」です。

現行コインの最古参は、5円黄銅貨の昭和23年、もし流通していても瞬く間に回収されるだろう、ある意味超レア品です。その次が、旧10円青銅貨昭和26年、あの有名な?!ギザ十ですね。
本日ご紹介するのは、3番目に発行の昭和30年1円アルミ貨です。本コインはPCGS社により「MS64」のランクがついており、鑑定枚数203枚中の41番目。バッグマークは極めて少なく、昭和30年の空気感が凝縮されたような味わい豊かな梨地の製作。1円アルミ貨は、発行から68年、ずっと変わらぬデザインで現在も健在そのものですが、その約70年にも迫る年月の中で技術の進歩著しく、プルーフのようにクリアな平地部分と若木とのコントラストはまるで別のコインのようです。
れと美もこれまでにない視点から何かを研鑽できたらと思っている今日この頃です。

このコインが発行された昭和30(1955)年、「三種の神器」が、流行語に選ばれました。この時の「三種の神器」とは、“電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビ”のことです。高度経済成長期、人々にとって生活を便利にする家電製品は、まさに憧れの的でした。

映画「ALWAYS 三丁目の夕日」では、この昭和30年代の東京・下町を舞台に、力強く生きる人々の暮らしが描かれています。ぜひチェックしてみてくださいね(^^)

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その91 2023年9月5日

朝夕は次第に気持ちの良い気温になりつつございます。日中は最高気温が27〜28度まで上がりますが、何分、高原の強烈な紫外線に曝されますので、私の周辺で庭仕事に精出す皆さん、特に男性の肌は、赤銅色に輝いています。女性の作業は、完全防備(長袖、長ズボン、手袋、虫除けネットの付いた大き目の麦わら帽子&、UVカット用ローションを塗りたくります)で臨んでいても僅かな時間しか作業しなくても、日焼けしてしまいます。高原の紫外線の強さは強烈です。
私は、特大の麦わら帽子を最大の武器に紫外線と闘います。身体中、UVカットローションを塗布して、07:00過ぎに作業開始、09:00前には作業終了、シャワーに飛び込み暫時休息、このまま寝てしまう事も屡々(シバシバ)です。目覚めてからの時間の長い事と言ったら・・・  
涼しさが戻ってくる夕方、水遣りをして作業は終わります。簡単な作業ですが小一時間かかります。この小一時間でも日焼けしてしまいます。 

夜分に旧道(昔からの商店街)へ出掛けました。多くのお客様が、行く夏を楽しんでおいででした。素敵な浴衣を楽しんでいる方が複数見られ浴衣の人気に驚かされました。
半世紀以上前になりますが、軽井沢の旧道商店街は東京や横浜の名店が夏季に出店しており、避暑に足を運んだお客様の需要を賄っていました。
銀座松屋百貨店さんを筆頭に枚挙にいとまがございませんでした。現在の旧道商店街とは随分と趣が異っておりました。
道を折れ2〜3分も歩めば、ユニオンチャーチが在り、道を挟んで先日もお越しになった上皇陛下、上皇后陛下が出逢われた軽井沢会のテニスコートがございます。道なりに進めば、現在は抜本的建て直し工事中の万平ホテルがございます。来年の夏には再開と伺っております。
令和元年12月から耐震補強を含めた大規模補修中の重要文化財旧三笠ホテル【設計施工、共に日本人の手による純西洋式ホテル、明治38(1905)年竣工、明治39(1906)年営業開始)】も来年春には再開予定です。

前号では北海道内百貨店の盛衰と現状に付いて記しました。誠に厳しく残酷な現実に言葉も有りませんでした。目を東北地域に転じます。

◎ 青森県では古くは、カネ長武田百貨店、松木屋百貨店さんがございましたが、カネ長武田さんは、さくら野百貨店さんのルーツの一つになり松木屋さんは閉店されました。現在、青森市に、さくら野百貨店青森本店、弘前店、八戸店、北上店、で営業展開をしております。
他方、郊外型のイオングループが、青森店、青森東店、浪岡店、マックスバリュー浪打店、イオンタウン青森浜田、その他地域でも複数店舗展開中です。

◎ 岩手県では盛岡市に川徳百貨店(パルクアベニュー・カワトク)が健在です。宮古店を持ち、県外資本(宮城県藤崎百貨店)が盛岡と一関で展開しております。
イオングループは盛岡市6店舗、北上市2店舗、一関市1店舗、陸前高田市1店舗、釜石市2店舗を展開中。

◎ 宮城県では仙台に藤崎百貨店、仙台三越百貨店、藤崎古川店、藤崎石巻店、藤崎気仙沼店、藤崎白石店、三越大河原店、三越富沢店、三越石巻店が展開中です。
イオングループは仙台市を始め各地で20店舗近くが展開中です。

◎ 秋田県では西武秋田店、藤崎秋田店が営業展開しております。
イオングループは秋田市8店舗、能代市2店舗、横手市2店舗、大館市2店舗、男鹿市1店舗、由利本荘市3店舗、潟上市1店舗、大仙市5店舗で展開中。

◎ 山形県では県内唯一の大沼デパート(百貨店)が2020年1月閉店し百貨店はゼロになりました。
イオングループは県下で20店舗ほどで展開中。

◎ 福島県下では、郡山市に、うすい百貨店、三越いわき店、藤崎福島店、藤崎原町店が展開中。福島市では中合百貨店が廃業、山田百貨店がさくら野百貨店に加わり店名が消滅。
イオングループは、県下で約20店舗で展開中。東北6県でイオングループの展開店舗数は100店舗を超えています。消費者のモータリゼーションの変化が地方都市の百貨店が苦戦を強いられた最大要因の一つと存じます。
因みに、イオングループの、2022年2月〜2023年3月成績は、9兆1168億円と報告されております。

モータリゼーションの変化が、これまで消費者に取って利便性に問題があった郊外を、楽々駐車、ゆっくり買物が出来る場所に変え、当該地区の中心地にある百貨店から優位性を奪ったものと考えています。
他方、大都市の百貨店が安泰かと申しますと、ご案内の通り池袋西武百貨店の労働争議によるストライキが8月31日(木)に実施されました。
翌日、親会社のセブン&アイ・ホールディングスは外国資本に売却を決定、今後が注目されます。雇用が守られる事を祈ります。
ことほど作用に地方都市ばかりでなく大都市も心配になります。Amazonを始めとした通販業界も成長を続けています。小売業界は変わり続けています。
次号は東京に焦点を当ててみます。群雄割拠の東京は果たして・・・

次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第七十一回 富士山 2023年9月4日

 (上の写真は、左が昭和39年東京五輪記念千円銀貨、右が岩倉新500円紙幣)

 コロナが一応の終息を見せて、海外からの観光客が増えた。コロナ前の海外からの観光客というと、中国からの爆買いツアーが目立っていた。日本の薬や化粧品を大量に購入し、寿司屋で生魚を食べていた。それと同時に日本の土地も買っているという話も出ていた。中国以外の国から訪れた人たちも、日本の古都や地方の古い街を訪れて、その土地土地の料理や温泉で楽しんでいた。

 コロナ明けの現在、絶妙のタイミングで、日本政府が原発の処理水を浄化して海に放出したことで、中国政府がここぞとばかりに日本を非難したため、中国からの観光客は日本の鮮魚を食べず、日本の製品も不買で、何しに来るのだろう、と疑問を持たずにはいられない。

 まあ、それと関係があるのかないのか、海外からの観光客が富士山の弾丸登山をして、怪我をしたり、酸欠や寒さで倒れたりして、ニュースになったりしている。

 富士山は大昔から霊峰として、信仰を集めていたし、その美しさから日本の象徴となっている。海外にも高い山は多いけれど、海外の山は山脈であって、富士山のように独立した一つの山が、四方になだらかな斜面を持つ単独の山というのはなかなかない。そのため、外国人も一度登ってご来光を仰いでみたいらしい。

 日本一の山、富士山は昔からよく絵に描かれている。噴火の記録もあるけれど、江戸時代には浮世絵にもよく描かれている。有名なのは葛飾北斎の富嶽三十六景の神奈川沖浪裏や赤富士。また、歌川広重の東海道五十三次にも数多く描かれている。当時はかなり遠くからも富士山は見えたようで、現在、富士見とつく地名は、その当時富士山が見えた場所だと言われている。

 そんな富士山だから、コインや紙幣にも描かれている。パッと思いつくのは1964年の東京オリンピック記念千円銀貨。そして岩倉具視の500円紙幣、新渡戸稲造の5,000円紙幣、野口英世の1,000円紙幣にも描かれている。更に、次に発行される新シリーズの紙幣では、北里柴三郎の1,000円紙幣では正に「神奈川沖浪裏」が描かれている。

 富士山が初めて日本のお金に登場したのは、紙幣では昭和13年発行の政府紙幣50銭、所謂富士桜50銭、硬貨では昭和16年発行の富士1銭アルミ貨。どちらも戦時中であり、どこか神頼み的な感じだ。しかし戦後は平和の象徴として、敗戦によって失われた自信を取り戻した象徴のようである。

 上記以外で富士山が描かれた貨幣は、1970年大阪万博記念の100円白銅貨の赤富士、平成24年(2012)の国際通貨基金総会記念1,000円銀貨、新幹線開業50年記念の1,000円銀貨、地方自治の1,000円銀貨は静岡県と山梨県、未発行だったが1銭陶貨もある。また変わったところでは、ツバルの30ドル1Kg純銀貨に北斎の赤富士がカラーで描かれている。

 こうした一つのテーマで収集するというのも、また、一つの楽しみではなかろうか。

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レトロかきこ お礼「梨」 2023年8月31日

レトロに過敏すぎるスタッフのれと子です♪
お客様から立派な梨を頂きました。いつもお気遣い頂き、ありがとうございます。
さっそく冷蔵庫に入れ楽しみに頂きました。
ほどよい甘さにシャリシャリの食感、溢れるみずみずしさ、至福の涼を頂きました。
重ねてお礼申し上げます。

梨を頂きながら、日本人は梨をいつから食しているのだろう?とふと疑問が湧いてきました。ルーツを追ってみたいと思います(╹◡╹)

なんと、、弥生時代後期の遺跡である“登呂遺跡”から、炭化した種子が見つかっているそうです。
当時、栽培は集落周辺に限られていたため、稲作と同じく大陸から伝来した模様。
長江流域で栽培される南方系の梨 “砂梨(シャーリー)”ではないかと考えられています。
シャリシャリする食感ともぴったりですね!

文献では『万葉集』の歌にも梨は登場しています。
『日本書紀』では、持統天皇が、五穀である稲、麦、粟、稗、豆の他に、桑、苧(からむし)※1、栗、蕪とともに栽培を奨励している記述もありました。「栗、梨を五穀の助けとする」とあることから、穀物が不作の際の救済穀物になり得ると認識されていたようです。梨は、水分が多く日持ちしないように思いますが、梨の種類によっては上手に保存できれば、半年ほどもつ物もあるのだそうです。

梨といえば、歌舞伎界をさす「梨園」という言葉がありますね。
これは、古代中国に遡ります。唐の玄宗皇帝は、舞踏や音楽の愛好家で、自らも舞など教えていました。その場所には、多くの梨が植えられていたそうで、芸能を学ぶ者を「梨園の弟子」と呼んだことことから、「梨園」と使われるようになったのだそうです。まさか古代にまで遡るとは思いもしませんでしたー。梨の歴史、奥深いですね!濃厚にタイムスリップ気分を味わったれと子でした(*≧∀≦*)

※1 苧(からむし)...布などを作るための植物繊維

写真右は、『江戸名所図会』(20)より(齋藤月岑 編/長谷川雪旦 画)、国立国会図書館デジタルコレクションより。

来週は、れと子の夏旅(4)を掲載させて頂きます。

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その90 2023年8月29日

今夏は例年に無く暑い夏を迎えた軽井沢です。送り火を終え片付けが済んだ時には、シャツはびっしょり驚くほどの汗に塗(まみ)れました。
シャワーを浴び遅い夕食の席に着き、菩提寺に戻った方達の思い出話で時間が経つのを忘れましたが、冷房無しでは過ごせない一夕でした。
あれから2週間、今朝(8月28日・月)は、少し秋を感じました。早朝、30分程度の散歩をしても汗を掻きませんでした。気温は18度台まで下がっています。
散歩で会った犬達も涼しそうでした。やはり軽井沢に於いても異常気象の影響を身近に感じる事態になっているようです。
夏も最終局面に入っているものと思いますが、連日多くのお客様で賑わっている軽井沢でございます。
旧軽井沢地区も中軽井沢地区(ハルニレテラス、トンボの湯を始めとする星野地区)も盛況が続いています。
ここで一段と気温が下がると軽井沢が最も美しい季節に差し掛かります。誠に楽しみな季節が始まります。お召し物が周りの雰囲気に映えるご婦人達が張り切る季節でもございます。装いに気を配り季節をじっくり味わえる素敵な時間をお楽しみ頂ければ何よりです。
尤も猛暑が続くようですと夢のまた夢ですが・・・

さて、地方百貨店の苦悩と、この苦しい状態を打破する事が出来た地域が有ったでしょうか?
私が自社の営業拡大の舵取りをしていた頃は、この波を被る一時代前、全国各地で地方百貨店が輝いていた頃でした。
北から札幌【五番館(後の西武百貨店) 1906年(明治39年開店)、丸井今井百貨店 1916年(大正5年開店)、三越札幌店1932年(昭和7年開店)】、道内、全ての地域から買い物客が集まり札幌地区は活況を呈していました。
その後、【札幌東急百貨店1973年(昭和48年開店)、札幌そごう1978年(昭和53年開店)、大丸札幌店2003年(平成15年開店)】 同一地域内の他業種(スーパーを始めとする様々な商業集積)との戦いが顕著になり、百貨店全盛の時代は長く続きませんでした。
あっと言う間に閉店ラッシュと言うような事態に立ち至りました。

道内をチェックすると
札幌そごう百貨店2000年(平成12年)12月閉店、西武百貨店函館店2003年(平成15年)閉店 
丸井今井苫小牧店及び丸井今井小樽店2005年(平成17年)10月閉店 
丸井今井釧路店2006年(平成18年)8月閉店、きたみ東急百貨店2007年(平成19年)10月閉店 
丸井今井旭川店2009年(平成21年)7月閉店、西武百貨店札幌店2009年(平成21年)9月閉店
丸井今井室蘭店2010年(平成22年)1月閉店、西武旭川店2016年(平成28年)9月閉店 
帯広藤丸百貨店2023年(令和5年)1月閉店 
2000年以来、僅か23年の間に大小、11の百貨店が閉店致しました。郊外型ショッピングモールを始めとする新業態への消費者の移動に対する対応の遅れが致命的な結果となり閉店に至る要因の一つになったものと存じます。
今後10年を待たずに北海道新幹線が札幌まで延伸します。この黒船来航までの短い期間に対抗手段を講じられるか否かが札幌地区百貨店の存続を左右するのは明らかです。
現在、営業を続けている道内百貨店は、丸井今井函館店、丸井今井札幌本店、東急百貨店札幌店、大丸札幌店、札幌三越百貨店の僅か5店舗です。
この現実を見るに生き残った百貨店は、東京、大阪を軸にした巨大百貨店の資本力が散らつきます。地域に根付き生活に必要な商材を提供することで活気を維持する方向に進む事を願うばかりですが、消費者ニーズの変化が経済学者のそれを越えているように思えます。NET通販の利便性(本日発注、翌日配達)が多くの消費者の支持を得ており、購入品を手に取って確認したいと思う人達の数を遥かに凌駕しているのではと感じる次第です。
因みに大丸札幌店は大阪の大丸百貨店の支店、丸井今井函館店、丸井今井札幌本店、札幌三越百貨店は東京の三越伊勢丹の子会社です。残念ながら純粋な札幌資本は無くなりました。北海道新幹線の札幌開業が新たな商戦開始の号砲となります。

ご案内の通り、西武そごう百貨店労働組合は、8月31日(木)に西武池袋店でストライキを実施する予定と報じられました。両百貨店を傘下に持つセブン&アイ・ホールディングスの外国資本への売却の詳細が労働組合の考え方とは齟齬を来しているようです。実施されれば60年ぶり(1962年・大阪阪神百貨店がストライキを実施)の事態となります。
セブン&アイ・ホールディングスは企業主体が、コンビニエンスストアーのセブンイレブン、スーパーマーケット・イトーヨーカドー
売上高2020年2月期 約6兆6500億円

次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第七十回 血統 2023年8月28日

 (上の写真は、左がLouis d’or金貨 1786A ルイ16世、右が20Francs金貨 1806A ナポレオン1世)

 世界中に王国や帝国が存在していた時代がはるかに過ぎ、今や王国は数えるほどしか存在しない。

 日本も一応、天皇が存在しているが、政治的権力は持たず、専ら儀式や大きな行事の名誉総裁や、伝統文化の継承がその存在意義となっている。外国における元首もそうだが、中には未だに政治権力を持つ国もある。

 そんな中、既に国王や皇帝という地位は無くなっても、その子孫が存在し、王位継承権を主張する人たちがいる国もある。

 例えばフランス。フランス革命によってブルボン王朝が終わりを告げ、ナポレオンが皇帝となり、再びブルボン朝が復活し、オルレアン朝になり、共和国になり、再び帝国となり、そして共和国となる。そんな歴史の結果、ブルボン家の子孫、ボナパルト家の子孫、オルレアン家の子孫、それぞれが生き残っているので、それぞれが王位(皇位)継承権を主張している。

 直系ブルボン家を支持するレジティミストはシャルル10世が退位した1830年以降の全ての元首を否定しているし、ボナパルト家はナポレオン1世が失脚した1815年からナポレオン3世が帝位に着く1852年までと失脚後の1870年以降の全元首を否定している。又、オルレアン家を支持するオルレアニストはルイ・フィリップが失脚した1848年以降の全元首を否定している。ただし、フランス・ブルボン家直系は途絶えているので、現在のブルボン家当主はジャン4世(パリ伯ジャン・カール・ピエール・マリー・ドルレアン)だそうだ。王政支持者とブルボン一族は、毎年革命記念日にはミサを開いて、ルイ16世の処刑は間違いだったという宣言まで発している。

 一方、ナポレオンを支持するボナパルティストは、ボナパルト家の子孫を支持しているが、現状、ナポレオン7世は二人いる。一人は6世の長男シャルル・ナポレオン・ボナパルト、もう一人はその長男、ジャン・クリストフ・ナポレオン・ボナパルト。これは6世の遺書に後継者の名前が息子ではなく、孫が記されていたためで、骨肉の争い、というものではないという。

 こうした過去の元首の子孫が、名目上とはいえ、王位(帝位)継承権を主張し続けるというのは、日本ではあまり聞かない。ヨーロッパでは昔の貴族たちも脈々と名称、(名目上の)身分や権威を保ち続けている。実際、ブルボン家、オルレアン家、ボナパルト家の子孫は、そうした貴族の子女と結婚している場合が多い。

 日本は太平洋戦争の敗戦により、皇室以外の所謂特権階級が全て取り払われてしまったので、今更、その権威を求めることもない。勿論、藤原氏系の近衛、橘、一条、二条、三条、冷泉…といった公家の子孫、徳川、伊達、前田、毛利…といった大名の子孫も存在はしているけれど、過去の権力を主張すること、それを支持して活動する人もいない。

 国によって、教育によって、人の意識や歴史は大きく違ってくるものだ。

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レトロかきこ れと子の夏旅(3) 2023年8月24日

散歩中、涼みスポットを発見!お宿にチェックインしたれと子は、お部屋への移動中に願いの一つ“レトロ”を叶えたのでした。旅は続きます♪

お天気が悪くなる予報がある中、曇り空で迎えた2日目。
ボリューム満点の朝ご飯を完食し、しゅっぱーつ♪

向かった先は、佐渡市の最南端に位置する小木町。「宿根木」という重要文化財に指定された集落が入江沿いにあり、海では「たらい舟」の体験ができるそう。
たらい舟って、一寸法師が乗ってたあれかぁ、ひっくり返ったらどうしよう。。(・_・;
不安がよぎるも、冒険心が勝ってチャレンジすることに!

海に到着すると、たらい舟乗り場のノボリが勢いよくはためく奥で、ニコニコと笑顔でおじさんが手を振っています。他に待っている人もいなくて、すぐ体験できそうです。話を聞くと、おじさんが舟を漕いでくれるそう。海に出るギリギリのとこまで行くからスリル満点とのこと。早速乗ることにしました。料金を払うと、これ着てねーと、オレンジ色のライフジャケットを渡されました。海はけっこう波があって、浮いてるたらい舟が勢いよく揺れています。手繰り寄せられたたらい舟にドキドキしながら乗り込みました。たらい舟は“はんぎり”と呼ばれ、元々は漁師さんが海藻採取等に使った丸い船で、歴史があるのだそう。ひとつひとつ手作りで、今乗ってる舟も手作りとのこと。私が舟を手作りして日本海にでるなんてことは、この先の人生でも絶対にないでしょうし、凄い経験をさせてもらっているなと思い、気持ちが高揚しました。おじさんから紐がついた木の四角い箱を渡されました。箱には透明なガラス板がついています。これで、海の中を覗いてごらん!
流されないよう、腕に紐を通して海に浮かべると、とても綺麗に水中が見えました。透明度が高く青く見えます。つぶつぶした茶色い海藻がわさわさ揺らめいて流れていきます。その下にはゴツゴツとした岩が沢山見えました。昔、海底火山の噴火があり、溶岩が固まって岩になっているのだそうです。海の底だけでなく目の前に広がる岩もそのようです。宇宙を感じるような景色になってきました。おじさんの携帯がなりました。これから乗りたいというお客さんからの問い合わせだったそう。船頭さんをしながら接客もするなんて、マルチすぎるし面白い光景でした。そして、壮大な景色の中を進んでいきます。コースがいくつかあるらしいのですが、できるだけ先まで行けるコースをお願いしました。岩と岩の間が道のようになっています。おじさんは器用に一本の櫂で漕いでいきます。聞けば子供の頃から漕いでいるそう、熟練の技です!どんどん日本海の荒波が迫って来ます!まるで東映映画の最初にでてくる、岩に波が砕ける映像のようです。リアル波砕けを目の当たりにしているなんて、信じられない気持ちでした。本来なら人がいないような場所で目にする光景。こういう感動は初めてでした。おじさんの腕があったから見れた景色。とても貴重な体験をさせてもらえて、感謝でした!次は、宿根木の町を散策します!(^-^)

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10円青銅貨 昭和27年 PCGS-MS64RD 今週の映えコイン 8月23日

今週の映えコインは「10円青銅貨 昭和27年 PCGS-MS64RD」です。

今年の暑さは、ハンパありませんね(>。<)晴れ渡った青空を見て元気になるどころか日陰を探しながら動き、青空の奥にある雨雲に常にヒヤヒヤしながら「晴雨兼用」の傘を持ち歩いたり。コインにも優しい湿度の低いホッとできる安定した季節が早く来て欲しいものですね!

さて、本日ご紹介するコインは、PCGS社により「MS64RD」のランクがつけられ、鑑定総数378枚中112番目(RD)となっています。112位とだけ聞けば、ありきたりな感じがしますが、発行から71年、すぐに色が変わる青銅貨がまるで作りたての原色を維持する姿は、神秘的と言えるでしょう。年季の入った「ギザ十」を見つけるたびに、思わず「おっ!」と声が出てしまう、れと美にとっては、驚愕の一枚です。

この10円硬貨が発行された昭和27年4月22日、東京都内には、5円硬貨を使用する公衆電話機が試験的に設置されました。相手がでた後ボタンを押し、8秒以内に硬貨を右上の投入口より入れると通話できる仕組みでした。
戦後、紙幣を利用する公衆電話がありましたが、料金は自己申告制だったため、料金箱にはボタンなどが入れられ、きちんと支払う人は300人中およそ13人という有様でした。これは、硬貨の流通不足から料金投入口を紙幣用に急遽改造したため、回路としては料金投入と通話に関連のない作りで、このような不正が起きていたそう。この問題を解消するため、硬貨式自動公衆電話機が作られたそうです。なお、この年から10円硬貨が本格的に流通し始め、流通量の増加に伴い、翌年1月には10円硬貨が使用できる「4号自動式ボックス公衆電話機」として採用され、青電話の1号となりました。
写真の青電話は、新横浜にある「ラーメン博物館」の昭和の街並みの中に展示されている物で、受話器を持ったりダイヤルを回したりもでき、昭和レトロを体験したい方に人気のスポットになっています。

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その89 2023年8月22日

誠に恐れ入りますが、更新期間が開いたため「軽井沢だより」は、前号より引き続き、年始の内容を掲載させて頂きます。

10年に一度クラスの猛烈寒気に見舞われている日本列島、全国各地で本日(令和5年1月24日・火)から明後日(26日・木)に掛けて、厳しい寒さや激しい降雪になるようです。
午後に入り14時過ぎから猛烈な雪が降り始めました。

明日は、外せぬ所用が有り、松本まで足を運ばねばなりません。
軽井沢〜長野(北陸新幹線)〜松本(中央西線)、目的地は、松本駅からはTAXIで10分程度掛かる場所にございます。
信州大学医学部附属病院です。この区間は降雪機会も多く、冬は気象情報が大変気になります。
幸い翌日、降雪は僅かで診療を受ける事ができました。手前の病に付きましては改めて記述致します。

さて、地方百貨店の存続は極めて難しく、新興勢力の量販店(スーパーマーケット)が提案する駐車場の大きな郊外型商業集積(モール)が、目論見通り、駐車場を探す心配が無く駐車代金の心配も無い施設が選ばれる所謂、必然であったものと思います。
地方百貨店の存続の道は、大都市に本支店を多数持つ大百貨店との連帯以外に生き残る道は無いように見えるのですが・・・

例えば、札幌には丸井今井百貨店、三越百貨店、大丸百貨店さんがございます。丸井今井百貨店さんが伊勢丹さんの傘下に入りましたので、既に三越さんと伊勢丹さんは合併しており、三越伊勢丹vs大丸の構図となり、多くのお客様が買い物を楽しめる構図になっております。加えて郊外型のモールも元気ですので、消費者にとっては楽しい買い物が出来る環境になっております。

次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第六十九回 通貨記号 2023年8月21日

 (上の写真は左がスペインの8Reales=1Peso=1Dollar銀貨、右がサモアの25Tala銀貨)

 つい最近、ネット通販で品物を購入したら日本円ではなく中国元だった、という話題がありました。どちらも通貨記号は“¥”だったので騙された、というのである。

 世界中に通貨の単位は非常に沢山存在するので、全ての通貨記号を完全に分けることはできないし、それぞれの国の内政問題であるから、他所の国が口を出すことはできない。

 例えば“$”は、現在はアメリカのドルを連想する人がほとんどだけれど、エスクード、台湾ドル、タラ、コルドバ、パアンガ、レアル、ペソもこの記号を使う。

 そもそもこの記号がどこから来たのか。元々はスペインの8レアル銀貨にこの通貨記号が使われていました。スペインが大航海時代を迎え、アメリカ大陸から東南アジアまで広く進出するとともに、スペイン銀貨も世界に広まり、正に世界通貨となりました。中央アメリカから南アメリカを広く手に入れたスペインは、各地で良質な銀が産出したので、スペインの8レアル銀貨は各国から信頼を得て、貿易決済に使われました。このスペインペソの記号が“$”になったのには、いくつかの説がある様です。

 スペインの紋章あるいは8Real銀貨の図柄(ピラーダラー)のヘラクレスの柱にリボンが巻き付いた意匠、ペソ( PeSo )の“P”と“S”の重ね文字、等々。

 スペインペソ(8レアル銀貨)の信頼度は非常に高く、17世紀まで世界通貨としての力を持っていました。

 この“$”を元として、世界のお金の記号が作られていきます。イギリスのポンドはフランスのリーブル、その元のラテン語のリブラ“Libra”(天秤)から“£”となります。

 更に時代が下がると、そうした語源等は関係なく、実際の文字や発音からアルファベット一文字に線を入れるという単純化が行われます。その結果、日本の“円”は“YEN”なので頭文字から“¥”となったわけですが、中国の貨幣単位も“元”は“YUAN”なので“¥”となったわけです。

 先にも書きました様に、ドルもペソもタラもパアンガもコルドバもみんな“$”です。それらを明確に区別するためには国名を表すアルファベットを添えるしかありません。例えばアメリカドルなら“US$”。台湾ドルなら“NT$”。だから日本円なら“JP¥”、中国元なら“CN¥”とでもするしかないですが、それは表示する人(国?)の(あるなら)良心に頼るしかないでしょうねえ。

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レトロかきこ れと子の夏旅(2) 2023年8月17日

れと子の夏旅。
横浜から車とフェリーで佐渡島入りを果たした、れと子。お昼ごはんは、お刺身定食で地魚を堪能。願いの一つ“海の幸”を早速叶えました。旅は続きます♪

あー、美味しかった!(๑>◡<๑)
天國さんを出たら、陽射しがすごい。日陰がないー。汗汗汗
駐車場の車は地獄みたいに暑いし、すぐには乗りたくないなぁー。。
覚悟が決まるまで(?)ちょっとお散歩することに👣

民家の先に立派な建物が見えてきました。
とても綺麗なモダンな図書館です。
窓の席にはけっこう人が座っているのが見えました。
勉強してる人やパソコンしてる人も。コンセント付きの席があるなんて便利♪
さっきまで誰にも道で合わなかったのに、ここには集まってるみたいです。
この辺りの涼みスポットなんですね!
私も入りたいけど、長居しちゃいそうだし、そろそろ行くかー、気合い気合い(^.^;)

灼熱の車へ戻り、いざ出発!はやくクーラー効いてぇ(>_<)
走りはじめると、長閑な向日葵と海の景色が見え、島にいる!って感じがしました。

お宿が近かったので、早めにチェックイン♪
この丘の上かな?スピンカーブを上り切ると無事に「夕日と湖の宿あおきや」さんへ到着♪
フロントで手続きを済ませ、お部屋へ向かいます。

ここで、レトロセンサー発動!・:*+.\(( °ω° ))/.:+
エレベーターの見た目がレトロです。期待が膨らみます。
中に入ると、案内プレートに刻まれた文字が昭和感たっぷり♪
開閉や階のボタンも懐かしさのある可愛らしいボタンです♪♪
どんな風に動くのかなー??
ガチャン、ゴーー!!    おぉーっ∑(゚Д゚)
ビックリして変な声が出ちゃいましたが、
エレベーターには、しっかり点検日の表示もあり、動きがレトロなだけで、安全でした♪

お部屋に到着すると、広々した和室!
目の前に「加茂湖」の景色が広がっています。すご〜い!
窓を開けると、網戸はなく、風がびゅーびゅー入ってきます。
クーラーみたい。涼し〜♪極楽〜( ´ ▽ ` )
下を覗くと、さっき登ってきたスピンカーブが見えました。
湖はとても広いのにスワンボートらしきものが1台。観光客いないのかな?
イカダのように平たい板がいくつも浮いているのが見えました。何だろう??

さて、翌日のコースはどうしようかな?っと地図とにらめっこ。
お部屋にはWi-Fiもあって、検索もスムーズ。
島を横断しても、下にいっても、車でだいたい1時間かかるのねー。なるほどー。
あ、さっき見た図書館が出てきました。
加茂湖が見えるスポットとして紹介されています。
窓際の席が人気あるわけですね!

そんなこんなで、お部屋に用意されたクッキーとお茶を頂いていると、いつのまにか夕暮れタイム。夕日と湖、美しすぎます!お宿のネーミング通りです(*≧∀≦*)

そしてお楽しみのお夕食タイム!
海の幸や佐渡島の名産品が並び、佐渡米も美味しすぎました。
海苔も普段食べてる海苔と違って、塩がきいてる。おいしい!
給仕の方が色々優しく教えて下さるので、湖に見えたイカダのようなものについて伺ってみました。牡蠣の養殖をしているのだそうです。謎がとけてスッキリー♪
湖というとボート遊びが浮かぶけれど、静かなわけです。

明日の冒険にそなえ、さらにモリモリ食べる、れと子なのでした(๑˃̵ᴗ˂̵)

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レトロかきこ れと子の夏旅(1) 2023年8月10日

本日は、れと子の夏旅!
レトロに過敏すぎるスタッフのれと子が、久しぶりに旅に出ました。
見たこと、感じたこと、おすすめしたいスポットなどを綴っています♪

昨年の夏休み。
久しぶりに旅に出られることになった私は、とりあえず、自分の心の声を聞いてみることにしました。
絶景、冒険、海の幸、レトロ、コイン♪ そんなキーワードが聞こえた気がしました。

とは言っても、全部の願いが叶う場所なんてあるだろうか?
ネットで検索すること30分。
出てきたのは『新潟県の佐渡島』。
さどがしま、さどしま、両方の読み方があるそうです。

昔、友達から佐渡島のお土産に、トキのキーホルダーをもらったことがありました。佐渡島=トキ。知っているのは、昔、島流しの場所だったことやトキがいることくらいでした。ネットの映像に出てきた佐渡島は、見事な海の絶景で、これはほんとに日本の景色なの?と思うくらい美しかったです。
この目で見てみたい!と佐渡島行きが決定しました!(๑・̑◡・̑๑)

まずは、島のスペックをチェック!
新潟県の西部に位置し、東京23区の1.4倍の面積。
人口はおよそ5万人。対馬暖流の影響で、夏は新潟市より気温が1〜2度低い。冬は雪が少なく、やや温暖。水揚げされる魚介類が豊富。山や平野があり、米や柿、りんご、洋梨など果物も栽培され、食の宝庫。鹿、イノシシ、猿、熊もいない。大自然を安心して楽しめる。東京から最短で3時間半で着ける。

スペック高すぎて、ビックリ〜パラダイス・:*+.\(( °ω° ))/.:+
ますます期待が膨らみます。

新潟港にある佐渡汽船のホームページからカーフェリーの空き状況が調べられ、事前に往復券の予約購入ができました。お盆の時期で混み合っていましたが、朝9時頃のフェリーが取れ、何とか宿もとれました。

すぐに荷物をまとめて出発です。
横浜から新潟港を目指す281kmのドライブ旅♪
夜明けには、367kmある日本一長い川、信濃川と御来光を拝むことができました!
新潟港に入っていくと、“佐渡汽船”の看板が。レトロな感じのロゴがカッコイイ!いよいよフェリーターミナルに到着です。ここまで5時間ほどかかりました。
乗船の列に車を並べ、ちょっと一眠り。と思いきや、朝日が眩しいやら暑いやらで断念しました。遠くに見えていた白い小船がみるみる大きくなって岸に着きました。『おけさ丸』への乗船アナウンスとともに、車の列がすすみ始めました。スムーズに駐車して、座席を探します。2等席の札を見つけて中に入ると、全面滑らかな絨毯の広間でした。え、椅子が無い…!?クーラーが良く効いていたからか、混んでいます。熟練風の方が、既にゴロっと横になって寝ています。
しばらく座っていたものの、船旅に心躍り、デッキに出てみることにしました。海鳥がたくさんフェリーについてきます。エビセンを投げてる人のところにすごいスピードでみんな集まってきました。ホバリングしながら見事にキャッチ。船内に入り、売店を覗いて席に戻ると、さっきより空いていました。ベテランさん風に、ごろ寝をしてみました。床下からディーゼルエンジンの特徴的な音が響いてきます。結構大きい音ですが、眠気が勝ったようで、気がついたら、到着のアナウンスが聞こえてきました。乗船からおよそ2時間半。お腹もペコペコです。両津港の近くの“天國”さんへ。少し混んでましたが、すぐに呼ばれました。迷わず、お刺身定食に。身が引き締まっていて甘みがあり、とても美味しかったです。地魚達にほっぺが蕩けたれと子でした。

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竜5銭 明治8年 PCGS-MS64 今週の映えコイン 8月9日

今週の映えコインは「竜5銭 明治8年 PCGS-MS64」です。

本コインはPCGS社により「MS64」のランクがついており、鑑定枚数657枚中の446番目となっています。少額コインになるほど、より細かい技が求められる近代銭の製造。竜5銭はその技術の集大成ともいうべき、緻密な極印制作が行われたものと思われます。直径はわずか15.15mm。1円銀貨の竜図は圧倒的に「映え」としてインパクト大ですが、ルーペを片手にじっくりと日本人ならではの緻密な作業を思い浮かべながら眺めるのも収集家にとって密な時間になると思います。裏面はPL様となっており、うっすらと時代色をまとっています。

「三田四国町一番地に住める佐倉菊蔵(さくらきくざう)不断(ふだん)から胆(きも)の座(すハ)りたる男(をのこ)なりしが 去(さ)る十四日の夜(よ)八時すぎ強盗(こうとう)三人おし入り其か二人ハ三尺余の長刀(ながかたな)を帯(おび)たるが襲(おそ)ひ寄(よ)りて 有(あ)り合ハせの金銀のこらず差出(さしいだ)すべしと大声(おおこゑ)におとしけるを 菊蔵(きくざう)やがて立て傍(かたわ)らに有(あり)し箪(たん)笥の引出(ひきだ)しを明(あけ)ると見(み)えしが突然(とつぜん)白刃(はくじん)をぬいて 賊(ぞく)の鼻先(はなさき)へ突(つき)つけけれバ賊ハその不意(ふい)なるにやおどろきけん周章して遁走(にげさり)しとぞ」

この5銭銀貨が発行された明治8年、『東京日々新聞』九百十一号の錦絵に書かれている記事です。三田四国町(みたしこくまち)は、現在の東京都港区芝二〜五丁目の一部にあたります。
地名の由来には、四国の大名衆のお屋敷があるから等諸説あるそうです。港区と言えば、高級住宅街として有名ですが、大名屋敷の集まる歴史的背景に納得です。強盗事件なんて怖いですが、備えあれば憂いなしですね!お盆休みにお出かけの方は、防犯対策をお忘れなく♪良い夏休みをお過ごしください(^-^)

写真右は、ケイ斎芳幾「東京日々新聞 九百十一号」明治8年(1875)1月、具足屋、国立国会図書館デジタルコレクションより。

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その88 2023年8月8日

誠に恐れ入りますが、更新期間が開いたため「軽井沢だより」は、前号より引き続き、年始の内容を掲載させて頂きます。

10年に1度の猛烈寒波の襲来が4〜5日前からメディアで取り沙汰されておりますが、普段でも相当寒い軽井沢ですので少々の事では驚きはしないのですが、今日(令和5年1月20日)は「大寒」です。メディアの言う事に耳を傾け、降雪と寒さ対策をしておこうと思っています。
25日が「底」のようでございます。軽井沢の最低気温予想は、-15度とか・・・。
乾いた薪の補充、各種電池の確認、懐中電気の機能確認、エアコンのチェックと結構、時間を取られます。焦らず急がず、今日中に確認を終わらせておきたいと存じます。
 
昨日、本年の芥川賞、直木賞が決まりました。芥川賞(佐藤厚志さん・荒地の家族 井戸川射子さん・この世の喜び)、直木賞(小川晢さん・地図と拳 千早茜さん・しろがねの葉)、芥川賞・佐藤厚志さん、井戸川射子さん、お二人とも初ノミネートでの受賞です。
直木賞の小川晢さんは、2回目のノミネート、同じく千早茜さんは、3回目のノミネートで金星を射止めました。今後の作品が楽しみです。
 
さて、熊本・鶴屋百貨店さんとの打ち合わせを終えて、博多に向かいます。九州新幹線の全線開通は、まだ先でした。【博多〜鹿児島中央間の開通は、2011年3月12日】
在来線特急つばめ号に乗って博多に向かいます。所要時間は1時間30分位だったと記憶しております。新幹線の開通で博多〜熊本間は、約30分になり、利用者の利便性向上は計り知れません。当時、博多駅には、井筒屋百貨店(本店・北九州市小倉)さんが駅ビルを運営、天神地区には大丸百貨店、三越百貨店、岩田屋百貨店さんの3店舗が鎬を削っていました。
後に、三越さんと岩田屋さんが伊勢丹さんの傘下に入り、博多駅ビルで営業していた井筒屋さんは阪急百貨店さんに変わりました。時代の変遷の凄まじさを肌で感じた次第です。
手前が足を運んでいた頃は、まだのんびり感が残る福岡、博多地区でした。当時、伊勢丹さんの流通グループに加盟していた岩田屋さんに足を運び、商品部に挨拶をして訪問目的を説明、終了後、三越さんを訪問、こちらでも訪問意図を説明し再訪を約し、大丸さんに向かいます。
大丸さんでは大阪駅ビル(アクティー大阪)店(梅田大丸)の営業成績を説明し、取引開始依頼の内容をお伝えしました。さすがに時間が足らず、詳細の打ち合わせは次回に譲る事に致しました。夜分には北九州市小倉に入り、明日の井筒屋さんとの打ち合わせに備えます。
ホテルから徒歩5分のところに井筒屋百貨店さんがございます。地域一番店であり、全ての面で自信に溢れているように見えておりました。
当時は、井筒屋さんの裏側、紫川に架かる鴎外橋(文豪・森鴎外が陸軍第12師団軍医の頃、散歩の際、この橋を渡るのが好きだったそうです)を渡った近くに小倉玉屋百貨店さんがございました。高島屋さんの流通グループであったと記憶しております。包装紙が美しい薔薇の花であったことを鮮やかに記憶しております。
営業面積を含む営業規模は井筒屋さんに比べますと随分と小さく展開されていますが、顧客管理の見事さには驚かされました。外商顧客の数では井筒屋さんと肩を並べる時代も有ったとか・・・。
時代の流れでございましょう2002年12月に閉店されました。
小倉玉屋百貨店を率いた田中丸社長のコレクションは大変、有名でした。百貨店の一部に、ミュージアムが用意され度々、眼福を味わせて頂きました。
玉屋さんは、福岡県に2店舗【福岡市・会社設立1925年(大正14年)、北九州市小倉・会社設立1937年(昭和12年)】、佐賀県に1店舗【佐賀市・会社設立・1930年(昭和5年)】、長崎県【佐世保・会社設立1918年(大正7年)】に1店舗がございました。
それぞれが独立した店舗で田中丸一族の方が経営を担っておられました。
福岡玉屋さんは、1999年、閉店されました。佐世保玉屋さん、佐賀玉屋さんは現在も営業中でございます。
 
地方都市の老舗百貨店が生き残るには幾つかの方法が有ったものと存じますが、多くの地方百貨店さんが流入してくる県外資本の大波に飲み込まれたように見えました。
その店の長い顧客であっても、時代の波に乗った商材を優先し、駐車場も充分確保された新しくスタートした商業集積に1回は足を運んでみます。建物が新しいことに加え、様々な工夫が凝らされた店内は明るく美しく、買い物の楽しさを改めて存分に味あわせてくれます。
これまで足を運んでいたお店への訪問回数は徐々に減り1年もすれば一顧だにしなくなります。これが現実です。誠に厳しゅうございます。
人間関係で繫ぎ止めるには限りがございます。百貨店側が勉強と新規投資を怠れば、あっという間に看板の記憶だけを残して屍(シカバネ)を晒す事になります。
これが歴史の事実でございます。
 
次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第六十八回 エジプト 2023年8月7日

 (上の写真は左がネクタネボ2世のスターテル金貨、右がアテネのテトラドラクマ銀貨)

 悠久の歴史の上に成り立つ国エジプト。日本でも有名かつ人気の旅行先の一つです。

 この国を有名にした最大の功労者はなんと言ってもツタンカーメンでしょう。

 通称ツタンカーメンは、トゥト・アンク・アメン(アメン神に愛されし者)という名前ですが、元々はトゥト・アンク・アトン(アトン神に愛されし者)という名前でした。彼の父親アケナトン(アク・エン・アトン)は元々アメンへテプ4世だったのですが、宗教改革を起こし、多神教からアトン神一神教としたため、名前もアメン神からアトン神へと変更したのです。またこの時代はアマルナ時代と呼ばれ、それまでのエジプト美術が形式的であったものが写実的に変わり、アケナトンの顔は面長で、他のファラオとは全く印象が違います。一方、王妃のネフェルティティは絶世の美女と言われる美しい顔立ちです。 しかしこの宗教改革のためにこの時代は後世のファラオによって否定され、アケナトンとその家族の記録は殆どが消されてしまいました。

 アケナトン没後、その息子スメンクカウラが後を継ぎましたが、すぐに没し、その後を継いだのがツタンカーメンです。即位は8歳か9歳ということで、実権は神官アイと将軍ホルエムヘブに握られていました。古くからの神官や高官たちはアケナトンの宗教改革に反対していたため、アケナトン没後、アメン神を中心とする多神教に戻りました。その影響でファラオの名前もツタンカーメンに改名されたのです。

 しかしこの時代、エジプトの経済は物々交換で、砂金や宝石と品物を交換していました。

 その後、エジプトも周りの国々との戦いにより栄枯盛衰を繰り返し、紀元前400年頃になると巨大帝国の栄光も過去のものとなり、巨大帝国ペルシアから見ると地方の小国家扱いとなっていました。

 この頃は第30王朝と呼ばれる王朝ですが、これがエジプト人のファラオによる統治の最後の王朝となります。その最後のファラオは以前にもご紹介したネクタネボ2世です。彼の時代、ペルシアの事情もあって初めは穏やかで平和な時代でしたが、アケメネス朝ペルシアが本格的にエジプト征服に乗り出すとあっという間に占領され、ネクタネボ2世は南の上エジプトへと逃亡します。その後、しばらくは勢力を保っていた様ですが、やがて消息不明となってしまいます。

 ネクタネボ2世は、ペルシアに対抗するため、ギリシア人傭兵を雇いました。彼らにはお金で給料を払わなければなりません。そのため、歴史上唯一の象形文字が書かれた金貨を発行します。しかし、ギリシア人傭兵は通常、自分たちが使っているギリシアの銀貨で支払うことを要求したため、かの有名なアテナ神とフクロウが描かれたテトラドラクマ銀貨を鋳造しました。これらのコインは滅多に見ることはできません。

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オーストラリア ソブリン貨 1873M NGC-AU53 今週の映えコイン 8月2日

今週の映えコインは「オーストラリア 1873M NGC-AU53」です。

カミナリ⚡ ︎を安全な場所から眺めるのが好きなれと美ですが、8月1日関東を襲ったゲリラ豪雨にはさすがに恐怖すら感じました。そんな時は頑丈な建物に入り、ホッと一息つける場所でほんの少しの癒しタイムが見つけられたら良いですね、横浜の頑丈な建物、シルクセンターよりお届けいたします(^o^)v

さて、本コインは、NGC社により「AU53」のランクがついており、鑑定枚数107枚中の91番目となっています。状態こそ“極美品”ですが、人気のヴィクトリア・ヤングの肖像であり、金相場が依然として堅調な中の金貨、地金に近い価格と何かとお得感の強い、今オススメの金貨となります。

このコインが発行された1873年は明治6年、東京の街はどんな様子だったのでしょう?この番付表が当時の様子を教えてくれました♪

『明治前期の東京』図録解説p.8によれば「東京の商店街を繁華順に、江戸趣味の番付に編成したもの。日本橋界隈が中心で、銀座通りはまだ関脇。下位の順序は同一地方を雑然とならべている。行司は官庁街、芝居街、遊廓、芸者町。大伝馬町2丁目と室町3丁目とが勧進元。」だそうです。
先日のCCF会場となった日本橋が、当時は繁華街の代表格だったとは!賑やかな当時の街へ行ってみたくなりますね(^ ^)

なお、レトロコインオンラインでは、多数の日本貨幣はもちろんのこと、世界の金貨、プラチナ貨も、お手頃価格にて販売中です。是非、ご覧下さい (>。<)/

写真右は、東京都立中央図書館「東京町名競 明治六年新板」より。

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その87 2023年8月1日

誠に恐れ入りますが、更新期間が開いたため「軽井沢だより」は、前号より引き続き、年始の内容を掲載させて頂きます。

あっという間にお正月は終わりました。軽井沢の彼方此方は観光のお客様で大賑わいでした。
ここ2〜3日、暖かい日が続き、根雪になったものと思っていた雪や凍りついて滑り易くなっていた雪の成れの果ては、すっかり消えてなくなりました。春先のような気持ちの良い気候が続いています。外国人のお客様の中には半袖のTシャツで闊歩する姿も散見され、季節感が無くなりました。
庭では凍み上がった土は15センチ以上にもなり、歩き難いこと極まれりでございます。
花壇の柵も凍み上がり、支柱が彼方此方で倒れています。この修理をするのに2時間を要し、馴れない作業に疲労困憊でした。勿論、このように暖かい天気が続く訳もなく、再び来るであろう寒気に心配が募ります。
先日、散歩でハルニレテラスまで参りました。大人気店の川上庵(お蕎麦とお酒)は、メンテナンスの為、3月中旬まで休業のお知らせに、残念そうに踵を返す多くのお客様を見るに至り、「人気のお店は流石なものだ!」と独りごちておりました。
 
行動予定通り、肥後もっこすとの打ち合わせを始めました。長時間を厭わず徹底的に先様のお考えをお聞きした後、弊社の商材は自家需要より贈答品としてのご支持が多いことを口を酸っぱくして説明申し上げました。
インテリア、家庭用品の何(イズレ)であっても問題無い事を理解頂くことに時間を費やしました。京都の高島屋さんでは1階に店舗を構えている事も併せて、お伝え致しました。
 
からし蓮根は熊本の名物です。打ち合わせの後、食事を共にすると必ず頂く一品です。
何と言っても一番は、素晴らしく美味しい馬肉のお刺身です。ステーキでも誠に結構です。
生醤油に生姜をスって頂きます。馬肉で有名な長野県松本市では生姜でなくニンニクがたっぷり添えられます。両方とも誠に美味でございます。
お酒は米焼酎が愛されております。麦でなく芋でなく米を主張する方が多くおいででございました。流石、肥後もっこすですね〜 
「麦より芋より米が貴重に決まっているでしょう!その米を使った焼酎ですから美味しいのは当然です」と顔に描いてあるから驚きます。
他方、天草が近くですので、海の物も何でも素晴らしいのです。本当に素晴らしい立地です。
おっと、忘れておりました。熊本城が聳(ソビ)えております。正に城下町でございます。
徒歩10〜15分で上通り商店街や下通り商店街に到着します。しっかりしたアーケードで道幅が大変広く雨で濡れる心配なく、ゆったりと買い物が出来る環境が整っております。
この商店街のスケールの大きさは、愛媛県松山市の「大街道商店街」と匹敵するものと存じます。是非ともお運び下さいませ。
【2016年、熊本市は強い地震に見舞われました。2020年には人吉市が豪雨に見舞われました。未だ復興途上でございますが、ここでも肥後もっこすの頑張りを見せており完全復興も間なしと信じております】
 
次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第六十七回 プラチナの歴史 2023年7月31日

 (上の写真は左がオーストラリア1オンスプラチナ貨2020年、右がUSA1オンスプラチナ貨2020年。共に外国金貨即売ページで販売中!!)

 プラチナの誕生は20億年前の隕石の衝突により、プラチナ鉱床が出現したと言われています。

 最も古いプラチナの製品は古代エジプトのファラオの装身具と言われています。

 現存する最古のものは紀元前700年頃の高位神官だった女性シュペヌペットの、金とプラチナの象形文字で飾られた石棺と、その墓から発見された「テーベの小箱」と言われる化粧ケースで、片面が金、片面が象形文字を刻印したプラチナが使用されていていました。現在はパリのルーブル美術館にあるそうです。

 プラチナの産出地域は南米で、南米では古くから加工されていました。

 16世紀、スペインの南米進出でヨーロッパにも広く知られましたが、融点が高く(金1,064℃、銀961.8℃に対してプラチナは1,769℃)、加工の仕方がわからないため廃棄されていました。

 18世紀に入ってプラチナの研究が始まり、フランスのルイ16世が「プラチナは王にのみ相応しい貴金属である」と言ったことにより、価値が認められたと言われています。

 日本には江戸時代末期に、ロシア人が持ち込んだと言われています。明治に入り、懐中時計や軍需用に使われ、大正に入って宝飾用にも使われる様になりました。

 世界的に広めたのはカルティエの三代目ルイ・カルティエで、試行錯誤ののちガーランド・スタイル*という宝飾品として発売すると、たちまち王侯貴族の人気を集めることとなります。

 プラチナを好んで使うのは日本と韓国と言われています。それは、高度な加工技術が必要であり、国際的に安定した価値を認められる金と違い、工業用としての価値で取引されるからと言われています。

  *ガーランド・スタイル:プラチナをレース上の透かしたデザインに組み、ダイヤモンド等をあしらった正装用のジュエリー。

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レトロかきこ 明日はいよいよ、CCF 2023年7月27日

レトロに過敏すぎるスタッフのれと子です。
いよいよ明日、7月28日(金)からは、日本橋プラザでCCFが始まります!

今回、弊社レトロコインブースの見どころは
「金貨、プラチナ貨、ハイランク、格安品まで目うつりしちゃう~スラブ祭!」です♪
現在、注目度の高いコインの数々を、店主の厳し~目で、厳選中Σ(-᷅_-᷄๑)

他にも、レトロコインオンラインにはまだ未掲載の、出来たてほやほやスラブ新入荷品もでちゃいます!♪( ´▽`)

商品ラインナップの一部を下記にご案内させて頂きます。
旧5円金貨 明治5年 傾打エラー PCGS-MS66
旧1円金貨 明治4年 後期 財務省放出“美品B”
旧1円銀貨 明治3年 上半増貝 PCGS-MS64
新1円銀貨 明治18年 PCGS-MS63
新1円銀貨 明治35年 PCGS-MS64
新1円銀貨 明治36年 PCGS-MS63
大型50銭黄銅貨 昭和21年 光線入 PCGS-MS66
1000円銀貨 昭和39年 NGC-MS63PL
オーストラリア 100ドルプラチナ貨 2020年 FDC
香港 1000ドル金貨 1976 PCGS-PR68DCAM
イギリス 5ポンド銀貨 1999 ダイアナ NGC-PF69UltraCameo
ツバル 30ドルカラー銀貨 2010 北斎 NGC-PF70UltraCameo
銀行ロール各種

■28日金曜日の特別企画
11:00〜 先着5名様
PCGS収納ケースプレゼント
弊社ブースでお買い上げのお客様、先着5名様にプレゼント。
14:00〜17:00
グレーディング相談会
話題のスラブコインについて、表記の見方からグレーディングのポイント、お手持ちにコインについてグレーディングの向き不向きなど、個別に詳しくご案内いたします。

■29日土曜日の特別企画
11:00〜 先着5名様
PCGSネックストラッププレゼント
PCGSご依頼のお客様、先着5名様にプレゼント。

■30日日曜日の特別企画
13:00〜15:00
タイムセール
最終日だけのお愉しみ。セールコーナーの商品を現金特価1割引!とさせて頂きます。

夏の思い出の一枚がまだお決まりでない方は、この機会にぜひゲットして下さいね♪

さて、天気予報によりますと、明日は、予想最高気温が37℃、最低27℃と、とんでもなく暑くなりそうです。(>_<)
どうか熱中症対策をお忘れなく!
雷雨等、天候の急変にもお気をつけてお出かけください♪
皆さまのご来場をお待ちしております(*゚▽゚*)

2023 CCF(コイン・コレクション・フェア)
 場所 日本橋プラザ3階
 日時 7月28日(金)11:00~18:00
      29日(土)10:00~18:00
      30日(日)10:00~17:00
 場所 日本橋プラザ3階
 住所 東京都中央区日本橋2丁目3-4
 アクセス JR「東京駅」八重洲北口徒歩4分、東京メトロ銀座線・東西線・都営地下鉄「日本橋駅」B3出口徒歩1分
 ウェブ https://shushu.co.jp/event-site-2/

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オーストラリア 100ドルプラチナ貨 2021 FDC 今週の映えコイン 7月26日

今週の映えコインは「オーストラリア 100ドルプラチナ貨 2021 カンガルー」です。

口を開けば「暑い暑い」と言ってしまう、久々登場のれと美です♪先日、横浜市にて、これまた久々に「光化学スモッグ注意報」が発令されました。高温と無風が引き金となってしまうそうですが、40度に迫るほどの猛暑に身体が慣れるなんてことは一切有り得ませんね(汗)。皆様も水分補給とエアコンを使い、あと数ヶ月は気を付けましょう!

さて、巷では金地金が上がってきている!という話題を多く耳にするようになりました。確かに、地金はドル建てで5年ほど前から比べると1.5倍強ほどの上向きとなっていますo(>.<)o
投資も若い頃から始める方も多いようで、ゴールドのアクセサリーも人気ですよね!そんな中、今回ご紹介するのは、オーストラリアにあるパース造幣局発行の「カンガループラチナ貨」です。先日のムッシュの歴史散歩にもありましたが、プラチナは金よりも稀少性が高いのです。控えめな輝きを好む方には特にオススメです(^_^)
なんと言っても、このプラチナコイン、輝きとマット感の両方が取り入れられたデザインで、通常打ちですが、まるでマットプルーフのような仕上がりとなっています。やや小ぶりサイズの1オンスなので、置き場所にも困りません!美しさを兼ね備えた現物資産、プラチナ貨はいかがでしょうか!!

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軽井沢だより 追憶の中の軌跡 その86 2023年7月25日

誠に恐れ入りますが、更新期間が開いたため「軽井沢だより」は、前号より引き続き、年始の内容を掲載させて頂きます。前号までの内容もこちらよりお読み頂けます。お楽しみください。

昨年中は大変お世話になりました。皆様に於かれましては、コイン収集に於いて弊社をご利用賜り、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
本年が皆様にとって充実した素晴らしい一年になりますようお祈り申し上げます。弊社も皆様のご希望に沿うべく懸命に頑張る所存でございます。
引き続き、よろしくお願い申し上げます。
 
新しい年を迎え、軽井沢の気候は何とも悩ましく今冬一の冷え込み(マイナス10.2度)を記録したり、マイナス5〜8度を行ったり来たりと、寒い冬なのか暖かい冬なのか今の所、判断に迷っております。
他方、もしもの大雪に備えて、焚き物小屋からテラスに薪を移しております。床に薪を置いて、ブルーシートで包(クル)んでおきます。幸い、焚き物小屋の屋根よりテラスの屋根が大きいので、吹雪でも薪の上に積もる雪の量が少ないのです。それでも覆いが無ければ薪は湿ってしまいます。

元旦に近所の長倉神社(平安時代の書物、延喜式神明帳に記載されている神社)に初詣に参りました。例年より多くの参拝客で賑わっていました。
コロナ禍は収束しないどころか、亡くなる方は増えているようです。心配は続きます。皆様くれぐれもご用心ください。
有難いことに軽井沢への観光客は減る事なく続いているようです。幾つかの場所(プリンスアーケード、ハルニレテラスその他)では、その混雑ぶりに驚きましたが、どちら様も、きちんとマスク着用を忘れずに買い物や食事を楽しんでおられました。
 
改めて本年も皆様の収集内容の充実を計る一助になりますよう頑張る所存でございます。昨年同様、ご贔屓を賜りますようお願い申し上げます。
 
次号に続く

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ムッシュの歴史散歩 第六十六回 催事 2023年7月24日

 (上の写真は催事案内)

 今週末の28日(金)〜30日(日)の三日間、NIHONBASHI PLAZAでCCFが開かれます。全国から28社が集まるコインフェアです。

 さて、催事と言えば以前は百貨店でのイベントで、ある分野に特化した販売会や展示会を指すことが多かったが、今では英語のEVENTと同様、人が大勢集まって開かれる催しを指す様です。

  そもそも百貨店は明治中頃に出来上がった販売形態で、呉服屋から始まりました。江戸時代、大手呉服屋では大きな広間に客も店員も座って商談をする座売り形式だったものが、明治になり、西洋のデパート文化が入ってきて、商品展示用ショーケースを置いて通路を開け、入場料を取らず、買っても買わなくても自由に見ることができる、大きな建物の販売店となったものです。現代の百貨店とほぼ同じものが出来上がりました。売り場の構成も現代に通じるもので、最上階のすぐ下の階あたりに催事場が設けられ、期限を切って様々な催事が開かれます。

 さらに古い時代に遡ると、室町将軍の様に箱庭に自然の山河を再現しようとしてみたり、平安時代の朝廷は四方を山に囲まれた京都から、あたかもテレビ画面を見るが如く、全国を見て治めていたのですから。

 先にも言った様に、一箇所でなんでも見られるというのは便利なもので、CCFでも多くのコイン屋さんが持っているコインを見て、比較して、お気に入りの品を入手できる絶好のチャンスです。厳しい暑さが続いていますが、しっかり暑さ対策をして、熱いコレクションハントに出かけませんか?

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ムッシュの歴史散歩 第六十五回 プラチナ 2023年7月10日

 (上の写真は左がフランスのプラチナ100Francs 1987年 ラファイエット将軍、右がマン島のクリスマス・プラチナ50Pence)

 ここのところ貴金属の価格が高騰していました。今日あたりは少し落ち着いている様ですが…

 貴金属の内、個人も含めて取引量が多いのは金銀プラチナです。この内、金は言うまでもなく古代から盛んに取引され、コインにも多く利用されてきたので、誰もがその価値を知っているものです。また、金は埋蔵量も豊富ですから、それこそヘッジには最適です。世の中がきな臭くなると、通貨は急激に信用を失います。そこで、皆さん、金を買い出すのです。金はいつでもお金に変えることができますが、通貨は発行する国がコケるとその価値は暴落してしまうからです。

  銀も昔から取引される金属ですが、残念ながら、金ほど高くはないので、それほど注目はされませんが、1964年の東京オリンピックの時には、1,000円銀貨、100円銀貨ともに暴騰し、これらを溜め込んで家を建てた人もいたそうです。

 さて、プラチナは、というと、産出量、埋蔵量ともに金より遥かに少ないので、一見、金よりずっと高いかと思いきや、金よりは安い金額で取引されています。それは第一にプラチナの主な使い道が工業製品であること、そして第二がやはりその量が少ないことが挙げられるでしょう。例えばプラチナは自動車等にもつかわれますが、今回の様にコロナが蔓延して経済がとまりがちになると、自動車の生産が落ち込み、これに連動する形でプラチナを買い求める人が減って価格も落ちてしまいます。逆に金は値が上がります。 今はどうでしょう?コロナ騒動も落ち着き、金の値段も下がってきました。これから世の中が落ち着きを取り戻し、経済が復活してくると、今度はプラチナの需要が高まってくるかもしれません。

 コインにもプラチナコインが存在します。しかし、種類や発行枚数が少ないため中々出会えませんが、地金価値が低いうちに手に入れておくのも良いかもしれません。

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ムッシュの歴史散歩 第六十四回 座人 2023年7月3日

 (上の写真は左が正徳一分判金、右が安政別座一分銀定逆打)

 金座・銀座には極印を打つ「常是」の他に、地金の買入れ、品位の確認等を行う役人がいました。年寄役、勘定役、平役と呼ばれる三役の総称を「座人、坐人、座衆」等と言います。そしてこの三役をまとめていたのが「勘定奉行」と呼ばれる役職です。江戸時代、寺社奉行、勘定奉行、町奉行は三奉行と言われ、評定所の構成員でした(評定所とは江戸幕府の最高裁判機関)。

 奉行とは元々、上役からの命令を下に伝えることを意味していた言葉でしたが、それが人を指すようになり、上からの命令を実行する人を指すようになっていきました。

  町奉行といえば、大岡越前のように町方の行政、司法を司り、寺社奉行はその名の通り寺社を取り締まります。

 勘定奉行は、いうまでもなくパソコンのソフトではなく、財政や天領(幕府直轄領)の行政、司法を司ります。金座、銀座の座人は勘定奉行の下にあって天下の回りものである金銀貨を取り扱うのですから、重要な役職です。

 最近はあまりありませんが、時代劇などでは一分銀や何かをこっそり持ち出す、などというはなしがありますが、実際は職人は出入りの際は下帯まで取り替え、素っ裸で検査を受けるのだそうなので、殆ど不可能なことです。

 江戸時代の貨幣経済を支える金座、銀座、銭座。それぞれ扱う金属によって分かれていますが、徳川300年を支え続けました。

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